英国伝記文学とイヌの進化

新聞の書評から、二つほどご紹介。


まずはマティス

 マティスの一生は、苦難と葛藤の歴史であった。父との確執、安定せぬ収入、画商の裏切り、美術界の悪評、子供の難病…ひとときも安住することがなかった。


 さらに、強靭な意志で芸術制作にすべてを捧げたが、家族もそれに従うことを強要した。家族はみなマティスに振り回されて消耗していく。彼が芸術のうちに表現しようとした休息や不安は、実は作者自身にもっとも欠けており、一番必要とするものだった。


 この大著は、イギリス伝記文学の重厚な伝統を感じさせる記念碑であり、マティス研究にとっても大きな意義をもつ。


マティス 知られざる生涯」(ヒラリー・スパーリング、白水社
120701日経書評、宮下規矩朗評


 マティスへの関心からだけでなく、「イギリス伝記文学の記念碑」の一語に反応した。これも、ささやかな「英国シリーズ」です。ロンドンの書店をのぞくと、伝記コーナーの充実ぶりが目に付く。こちらがまったく知らない人物の分厚い伝記もずらりと並んでいた。

 ついでにこんな本も参考文献としてあげておきます。

http://www.msz.co.jp/book/detail/07370.html


 次は、がらっと変わってオオカミの話。昔、テレビのドキュメンタリーで、「オオカミはシベリアで人間が家畜化した」ことを教えられた。すると、イヌの歴史は1万年か2万年で人間の方がずっと古い。進化の長さとしてはかなり短期間だ。その間に、イヌがこれだけ多様に分化するものだろうか、と疑問に感じたことがある。その回答が、以下の本にありそうだ。

 
 犬がオオカミから家畜化される過程で、心理学的にあるいは遺伝学的にどのような変化が起こったのだろうか。


 ロシアの遺伝学者ベリャーエフは1959年からシルバーフォックスの研究をはじめた。130匹の野生のシルバーフォックスから、人間を怖がらず、攻撃的でない個体を選んで選択交配した。たった40年後、人間の注意をひこうとクンクン鳴き、匂いを嗅ぎ、舐める、人とのコンタクトを求める個体群が生まれた。この群はすでにゲノムマッピングで野生のものと40の遺伝子が異なっているという。しかも、遺伝子の変化とともに、垂れ耳や巻き尾、多色でまだらの毛皮などの身体的変化も生じた。これは、低い攻撃性に関係する遺伝子と、外形を形成する遺伝子が、同じかセットになっているためであると考えられる。


 家畜化は、自然の中で何百万年もかかる淘汰を短い時間で可能にするのである。

 人間とアイコンタクトすることは、犬の特徴だ。アイコンタクトによって、犬は人に注意を向け、さらに人が何に注意を向けているのかに注意する。その結果、犬は人が見ている視線の先をみる。これが人の心を読むことにかけて、チンパンジーを大きくしのぐ能力を犬に与えることになる。


「犬から見た世界」(アレクサンドラ・ホロウィッツ、白揚社小西聖子
120701付け、毎日新聞書評

 犬で可能なら、従順な人間同士を選択交配していくと…「人間の方がずっと昔から、やってるぜ」という声がどこからか聞こえてきた。