ギリシャは非ヨーロッパ?

 欧州文明の基礎を作ったといわれるギリシャ人だが、ギリシャ人にとって、ヨーロッパは「他者」だったという指摘を紹介したい。出典は、「ギリシャはどれほど『ヨーロッパ』か?」(村田奈々子、「中央公論」2012年5月号)

 西ヨーロッパ諸都市では、17世紀末には、自分たちの生きる空間を「ヨーロッパ」と意識し、自分たちを「ヨーロッパ人」というカテゴリーで考えるようになった。その共通項として見出した要素のひとつが、キリスト教カトリックプロテスタント)の信仰だった。東隣に君臨したオスマン帝国イスラム教を奉じていたことも、(西欧に)比較する視点を与え、キリスト教をヨーロッパ・アイデンティティの重要な柱とみなす結果をもたらした。

 一方、今日のギリシャのほぼ全域は、ビザンツ帝国東ローマ帝国)の支配を経て、15世紀以降はオスマン帝国領となった。人々はギリシャ語を母語としていたが、自分たちを「ヘレネス」(ギリシャ人)と意識することはなかった。彼らは、東ローマ帝国の臣民「ロミイ」(ローマ人)としてのアイデンティティを保持しており、それは正教徒であることと分かちがたく結びついていた。

 彼らにとって、多神教古代ギリシャ世界は伝説の領域に属していた。「あなたは何者ですか?」と問われたなら、彼らは「ローマ人」、あるいは「正教徒です」と答えたであろう。

 「ローマ人」や「正教徒」が、自分たちを「ギリシャ人」と意識するようになるのは、18世紀後半以降であり、さらに限定すれば1830年にギリシャという国家が歴史上はじめて誕生してからのことにすぎない。

 これには、西ヨーロッパの知識人のあいだで、古代ギリシャ崇拝の風潮が強まり、異教徒に隷属させられた「ギリシャ人」を解放しようとの思想的潮流が背景にあった。

 18世紀あたりのドイツ人学者が、「欧州文明の母」として古代ギリシャ礼賛の書物を書き、それを機に西欧に古代ギリシャブームが起き、それまで西欧にとって「他人」だったギリシャが突然、「肉親」になったとの説を読んだ記憶がある。歴史的起源は常に書きかえられる、の一例か。