ダンサーになりてえ

 映画「ピナ・バウシュ、踊り続けるいのち」を観て、自分の身体意識の欠如を痛感した。3Dの画面で躍動するダンサーたちの身体に茫然となりながら、「おれ、生きたまま死んでんじゃねえか」と思った次第であります。体を動かさなくちゃ。


 といって、ピナのダンスは体操ではない。そこでは、精神と分離された身体が、機械仕掛けのように動いているわけではない。群舞も、軍隊の行進とは真逆の位置にある。「身体と意識」が原理的には同一であることをピナのダンスは提示している。


 監督のヴィム・ヴェンダースも、技術面も含めリスクを恐れず、新しい試みに挑戦している。特にヴェンダースの発案という野屋外でのダンス・シーンは、こちらの世界を広げてくれた。3Dも見始めは少しひっかかりがあったが、途中で気にならなくなった。ナマと複製である映像の境界を消そうとする姿勢が伝わってきた。


 ピナに対するダンサーたちの心酔ぶりに、どこかで抵抗がないわけでもないが、純度の高い人格的形象のみが持つカリスマ性は、たしかに魅力的だ。年を重ね、あのように笑えるか。あのように歩けるか。

 もう少し、彼女を知りたくなった。