「とおせんぼ」が消えた

 九州の実家で一人暮らしをしていた母が急死した。享年84歳。翌日の友人たちとの旅行に備え、美容院で髪を染めてセットし、自宅に戻って夕飯を食べ、その直後の脳出血だった。医者によると、「あっという間だったと思います」。生涯、病気知らず。結局、病気で寝ている姿を一度も子供に見せないままだった。

 急逝だったが、家は隅から隅まできちんと掃除されていた。母が買っていた食材で作った料理を食べながら、母の葬儀の準備をする奇妙さ…。

 昨年3月の父が他界したばかり。80歳すぎてもバイクで二人乗りしていた夫婦だった。「ご主人が呼ばれたのでしょうね」。近所のおばあさんがつぶやいた。

 父は、死の直前の短い入院期間中、自分の葬儀の細かな指示を母に出し、感情の乱れを一切みせずに淡々と旅立った。母は、亡くなる直前まで活動的に暮らし、突然、消えた。「死に方」も、「静」の父と「動」の母、そのままだった。

 葬儀の後、母のメモ帳を初めて読んだ。新聞や本から気に入った文章を書きうつしていた。このブログと同じだ。

 「よく笑うこと」、「愚痴を言わない」、「おしゃれを楽しむ」。よくある人生訓も書かれていたが、母はほぼ完ぺきにこれを実践していた。生まれつきの性格だと思っていたが、よく思い出すと、子供のころはもっと怒っていたし、愚痴もこぼしていた気がする。晩年の「寛容で前向きな陽気さ」は、ある程度、意志的なものだったのかもしれない。

 親とは、「この世」と「あの世」の間に立ちふさがり、子供が「あの世」に行かないように「とおせんぼ」している存在である、と聞いたことがある。両親が消え、私にとっての「とおせんぼ」がいなくなった。両親を失い、たしかに「あの世」が身近に感じられる。ただ、それは恐怖の対象ではない。「生きて死ぬ」ことが、意味づけ以前の当たり前の事実として実感できるようになった、ということだ。


 「親の不在」で、世界が少し違ってみえてきた。