「コウシ曰く」シリーズです。
日本の儒者にとって、「中華と夷狄」の問題は重要。なぜなら、自分たちが夷狄に分類されているから。
これへの日本人儒者の対応はいくつかにわかれる。
まず「日本人は夷狄である。だから夷狄を脱するために猛勉強すべき」。これは当然ながら日本では人気がない。
次に「日本人は本場に比べれば古典の勉強が不足しているかもしれないが、勉強不足の分、余計な虚飾がなく素直であり、これは大きな長所である」。これは国学につながっていく。
また、「日本にも古事記のような論語に匹敵する立派な古典がある。劣等感を持つ必要なし」というのもある。
本居宣長は、「中国への劣等感は、猿に対し、毛がないからと劣等感を感じるようなもの」と書いている。
いずれにせよ、「中華」と如何に対峙するかは、日本にとって長年の思想課題である。近代にはいると、この「中華」が、「西欧列強」や「米国」になった。
これに関して、「神皇正統記」(北畠親房)では、論語(子罕第九)にある「九夷」(九つの夷狄)に関連して、こう述べている。
日本は九夷のその一つなるべし。異国にはこの国をば東夷とす。この国よりは又、彼国をも西蕃と伝るがごとし
なかなか勇ましい。「日本が極東なら、英国は極西じゃねえか」というのと同じか。どこからモノをみるのか。視点の固定化は自覚しないうちに進行する。もちろん、現在のわれわれも例外ではない。
儒教にとって、夷狄かどうかの判断基準は、「礼」の有無が重要であり、漢民族か否かといった民族的な基準ではない。
清の中国支配も、「漢民族がうまく統治できないので、われわれが礼を持って治めてあげよう」との正当化が背景にあった。朝鮮の儒者の間にも「儒教の正統的な礼は、中国より朝鮮半島に保持されている。ゆえに中国に劣等感を抱く必要はない」との自負する声があった。
江戸時代までは方言の独立性が強く、違う方言同士での意思疎通が難しかった。しかし、武士は参勤交代や候文(そうろうぶん)などのおかげで、「武家官話」と呼べるような武士階級限定の共通語が成立していた。そのおかげで、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らは通訳なしで複雑な交渉を行うことができた。
井上ひさしの「國語元年」を思い出した。