大きな収穫、伊藤計劃

虐殺器官」(伊藤計劃、ハヤカワ文庫)読了。

 1年前に購入したが、なぜか読まずにいた。ふと読む気になって手に取ったら…
 
 いやあ、驚いた。これは傑作だ。ゼロ年代でのベスト和製SFに選ばれるなどすでに有名な作品で、書店に行けば今も伊藤作品は文庫本コーナーに平積みされている。今さら驚いている当方が無知なだけだが、それにしてもハイレベルだ。

 言語の所与性と自我意識、米国の世界支配、生と死との境界、進化論、戦争と平和の相互依存、南北問題、暴力、母子関係…広範で重い現代的テーマが詰まっているが、諸テーマが作者の高い理解力でストーリーのなかにきちんと消化されている。作品がテーマに振り回されていない。若い作家にありがちな自己陶酔臭もなく、「書くこと」への醒めた距離感すら感じた。しかも、作者は、ガンを治療しながら、かつ、会社勤めをしながら、10日間でこの作品の第一稿を書き上げたという。

 2009年死去。享年34歳。なんという損失か。

 登場人物たちのセリフをいくつかご紹介する。ただ断片だと、スノッブなおしゃべりにしか聞こえないなあ。未読な方は、だまされたと思って読んでみてください。

 「実際にはね、ヒトの現実認識は言語とはあまり関係がないの。どこにいたって、どこに育ったって、現実は言語に規定されてしまうほどあやふやではない。思考は言語に先行するのよ」

「でも、ぼくはいま英語で思考していますよ」

「それは、思考が取り扱う現実の中にことばが含まれているからね。言語は思考の対象であって、思考より大きな枠ではないの。それは、ビーバーは歯が進化した生き物だから、歯で思考しているに違いない、と言っているに等しいわ」

「(ことばは)器官、呼ぶべきかしら」
「つまり、腎臓や腸、腕や眼と同じような意味での『器官』ですか」

 言語は、臓器と同じ「器官」である。ならば、「言語なき思考」は可能になる。「論考」のWは、なんと反論するのか。


「人間は脳細胞だし、水だし、炭素化合物だ。とてつもなく長いけれど、ちっぽけなDNAの塊りだ。人間は生きている時から物質なんですよ。この物質以外に魂を求めたって、そこから倫理や崇高さが出てくるように思うのは欺瞞ですよ。罪も地獄も、まさにそこにあるんです」


 「死んだら人間は物質に戻る」との俗説の拒否。「生きている間も人間は物質」。そりゃそうだ。

 「労働はその個人の自由を奪うけれど、見返りにもたらされる給料で、さまざまな商品を買うことができる。かつては自分で畑を耕し、収穫し、狩りに出て獲物をつかまえなければならなかったその時間を、農家に代行してもらって、収穫済みの野菜や、解体済みの肉、あるいは調理まで済んだ食べ物を手に入れることができる。ある自由を放棄して、ある自由を得る。…自由とは、そうした様々な自由の取引なのだ」

 「現代アメリカの軍事行動は啓蒙的な戦争なのです。それは人道と利他行為を行動原理に置いた、ある意味献身的ともいえる戦争です」

 「それは誉めてもらっているんでしょうね」

「いいとか、悪いとか、そういって価値判断は、いまの話の中にはありません。啓蒙それ自体は、誰かの側からの独善的な啓蒙でしかないのですから」


 「ハーモニー」、「伊藤計劃記録」と続けて読みたくなった。