体制の選択肢なき経済危機

 経済学者、岩井克人で、経済の現状を概観する。


 引用文献は、「自由放任主義と決別せよ」(岩井克人中央公論11年11月号)

最近、中公はなかなか健闘している。


 ソ連崩壊で大半の経済学者は、資本主義の勝利によって市場経済が拡大すればするほど、世界はあたかも「見えざる手」に導かれるように、効率性と安定性をともに実現する理想郷に近づいていくと考えた。

 しかし、サブプライム・ショック、リーマン・ショックと1930年代の世界大恐慌に次ぐ大規模な経済危機となった。米国では9%を超える高い失業率が三年近くも続いている。大恐慌時の失業率約30%よりはずっと低いが、持続的なGDPの損失は当時に匹敵し、通常の景気後退とは異質だ。


 導入部の主張は以下の通り。


 アダム・スミス流の「資本主義は純粋化するほど安定する」との命題は一連の経済危機で否定され、「資本主義は純粋化するほど不安定になる」との命題が真実であることがわかった。


 しかし、これは「社会主義の復活」を意味しているわけではないと岩井は力説する。


 1930年代、資本主義諸国が大恐慌に苦しむなか、ソ連は計画経済下、大恐慌の影響を受けずに高度成長を続けていた。当時、社会主義は輝かしき「ポスト資本主義」だった。

 それでは、今回の「100年に一度の危機」はどうか。「やはり社会主義だ」という声がほとんど出ていない。この事実は、強調してもしすぎることはない。それは、社会主義が人間にとって最も大切な「自由」の抑圧に必然的につながってしまうことを、20世紀におけるソ連や東欧の実験が示してしまったからだ。人間は非効率には耐えられるが、一度「自由」を知ると後戻りできない。


 「自由」が社会主義復活の絶対的な阻止条件となるかどうかは、いささか疑問が残る。しかし、現在の経済危機が「社会主義再生」の声を招来していないことは重要な論点だ。大規模デモも「格差反対」を叫び現状への強い不満を訴えるが、資本主義廃棄を主張しているわけではない。一時代前なら、この流れは、格差を消して「平等」を指向する社会主義に向ったはずだ。
資本主義以外の実効性ある体制の選択肢が提示されておらず、「オルタナティヴ(選択肢)なき危機」といえる。

 純粋資本主義の実験は、80年代のサッチャー英政権、レーガン米政権が強力に推進した。経済のグローバル化とは、資本主義を世界規模で「純粋化」する動きにほかならない。ミルトン・フリードマンをリーダーとする新古典派経済学は、世界を市場で覆い尽くせば尽くすほど、「見えざる手」のメカニズムが働いて、効率性と同時に安定性も高まっていくと主張した。たとえば、モノが不足すれば、市場で価格が上がり、企業は増産に走り、人々は買い控え、需給は自動的に均衡する。その結果、資源は効率的に配分され、需給へのショックも調整される。経済が効率性を欠いているとしたら、それは何かの制度や規制が市場の円滑な働きを阻害しているからである。

この主張は、21世紀の初頭までは当たっていた。なぜ、その後外れたのか。

 ここからが、岩井節の聞かせどころとなる。

 これは資本主義の本質にかかわる問題と関係する。

 「不安定さ」は、資本主義の土台をなす貨幣それ自体が可能にする「自由」が必然的にもたらしている。
貨幣のおかげで、自由にモノが売買できるようになった。しかし、手段であるはずの貨幣が目的となり、蓄え、増やすようになった。貨幣が人間に無限の欲望を与えてしまった。価値の無限の増殖が自己目的化されるようになった。


 貨幣は「使わない自由」も与えてくれる。「使わない自由」を過度に行使すれば不況から恐慌になり、「使う自由」を過度に行使すればインフレになって貨幣価値が下がる。資本主義は純粋化すればするほど、貨幣が生む自由が増えるが、それが同時に貨幣が生み出す不安定のリスクが高まる逆説になる。


ここで基軸通貨の話になる。


 1971年のニクソン大統領による「金とドルとの交換停止」は、ベトナム戦争の戦費で財政が圧迫され、米国がドルとの交換に備えて政府の金庫に金を保管しておく余裕がなくなったことが背景にあった。この背景にはフリードマンがいた。ドルと金との固定交換比率をやめて、ドルも「普通の通貨」として為替市場という市場で自由に調整するようになれば、米国も自国経済の実力に見合った通貨価値となり、競争力が回復するというわけだ。


 これは米国がドルを基軸通貨から降りる宣言だったにもかかわらず、翌72年には米国以外の国々のドル保有率が上昇している。
第二次世界大戦直後、米国は世界のGDPの半分を占め、ドルは基軸通貨の地位を確立した。今は米国のGDPは世界の二割しかないが、いったん基軸通貨になると、米国以外の第三国同士の取引にも使用されているために基軸通貨の地位にとどまっている。これは「みんなが基軸通貨だと思って使うから、基軸通貨として通用する」という自己循環論法が働いている。


 ケインズは第二次大戦末期のブレトン・ウッズ会議で世界通貨「バンコール」導入を提案したが、米国の反対で実現しなかった。ユーロの脆弱性が今回の危機で明らかになったこともあり、今後も当分、ドル=基軸通貨は継続しそうだ。


 それでは中国元は基軸通貨になる可能性があるか。これは不可能。これまでの基軸通貨国であったオランダ、イギリスも、資本取引に最大限の自由が保障されている世界の金融の中心地だった。一党独裁の中国は、世界の金融市場に大きな影響を与えることはあっても、中国自体が金融の中心地になることは当分ありえない。


 中国の急成長は、きわめてわかりやすい産業資本主義的なもので驚くに値しない。多くの労働者を雇い、機械工場で大量生産を行うことで利潤を生む産業資本主義は、農村部に余っている安価な労働力が、成功の大前提となる。しかし「一人っ子」政策のツケで、少子高齢化が日本よりも急激に進むことは不可避で、日本の経済レベルに達する前に生産年齢人口が急激に減少してしまう。
グローバル化」は、先進国における産業資本主義の行き詰まりの結果である。先進国の資本は、もはや自国の機械性工場に投資しても利潤を生むことができず、発展途上国に出かけて行って工場を建てようとする。資本が産業資本主義的活動のできる場所を探して世界中を動き回っているのが、グローバル化の本質だ。


共産国家」中国の成長の原因は、古典的な産業資本主義にあった。「グローバル化」とは原理的には新しい事態ではなく、従来の一国産業資本主義が、国境を越えて活動しようとしている事態である。

 長々と書きうつしてきたが、それほど新鮮な主張ではない気がしてきた。

 行きがかり上、本棚から昔懐かしい岩井の「貨幣論」を引っ張り出して拾い読み、さらに未読だった「会社はこれからどうなるのか」(平凡社)も読んでみた。引用は他日に。