クリスマスにイエス誕生考

 クリスマスにちなんで、今日は「イエス誕生」を考えてみる。

 バレンタインデーが猛追しているとはいえ、クリスマスは、日本でのキリスト教関連行事としては断トツでトップの位置を占める。しかし、キリスト教的に言えば、最重要なのはイエスの誕生よりも復活の方である。普通の人間でも誕生日はある。しかし、死んで復活したのはイエスだけだ。ここに、正統キリスト教の教義の土台がある。その土台作りの主人公だったパウロは、こう語る。

 
キリストは死人の中からよみがえったのだと宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死人の復活などはないと言っているのは、どうしたことか。もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい。

 「コリント人への第一の手紙」


 四つの福音書のうち、イエス誕生について記述があるのは二つだけ。ここにも、「誕生」の位置づけの低さが反映されている。

 12月25日にイエスが誕生したとの記述は聖書にはない。誕生の記述自体も、最初に成立したマルコ伝にはなく、マタイ伝とルカ伝のみ。このことから、キリスト教会の組織化に伴うイエスの神話化をはかるため「処女降誕」の物語が追加されたのではないか。
 
 12月25日については、1世紀にローマ帝国内で人気があった冬至を祝うミトラス教の「太陽神」誕生祭をキリスト教会が横取りした。12月25日の日付が確定したのは8世紀末だった。

 「イエスとは誰か」(高尾利数、NHKブックス)からの要約引用

 新約聖書そのものが、処女降誕にはあまり高い権威を与えていない。それは四つの福音書のうち二つに見られるだけで、その二つの福音書も、イエスは父ヨセフと通じてダビデ王(ユダヤ王国最盛期の王)の末裔であるという系図を示しているが、(処女降誕で父と無関係なら)これは完全に矛盾する。

 多くのプロテスタントは、処女降誕が文字通りの真実だとは思わず、それに霊的意味を与える方を好む。しかし、もちろん、カトリックの伝統においては今でも重要な要素である。


「イエスのミステリー、死海文書で謎を解く」(バーバラ・スィーリング、NHK出版)」


 ここで、問題です。イエスはどんな宗教を信じていたのでしょうか?
「もちろんキリスト教!」、「ブー!」。


 これについては、異論百出でしょう。ただイエスが生きていた時代に「キリスト教」と名付けられた宗教はなかったのは事実。さらに、福音書でイエスが「聖書」として言及しているのはユダヤ教聖典である旧約聖書なので、「イエスユダヤ教徒」、あるいは、ユダヤ教改革派あたりに分類するのが素直な見方だとは思われますが。

 ちなみに、宗教学の泰斗、ミルチア・エリアーデは、「世界宗教史4−キリスト教の誕生」(ちくま学芸文庫)のなかで、イエスを「素性の知れないユダヤ人〜ナザレのイエス」と呼んでいます。


 「正統派」からは激しく非難されている聖書学者の田川建三は、イエスキリスト教について、こう指摘しています。

 なぜ多くの学者は、イエス神の国の宣教者だと規定したがるのか。理由は、簡単である。古いキリスト教信仰では、イエスキリスト教を区別しなかった。イエス自身が「イエス・キリスト」についての信仰を人々に説いたのだ、と信じていた。しかし、ある程度学問が進めば、さすがにそれは無理だ、ということに気がつく。キリスト教は、イエスの死後、イエス自身が説いたわけではないキリスト(救世主)信仰を生みだし、それを拠点に発達した新しい宗教なのである。

 イエスキリスト教と関係がない、というのではなく、キリスト教成立の数ある前提条件の一つであった、というのが事実であろう。

 「聖書をめぐる障壁」(田川健三、「現代思想」1998年4月号)


 おしまいに、イエス誕生が引き起こした悲劇を思い起こしてみる。

 マタイ伝によると、ヘロデ王は、生まれたばかりのイエスが「ユダヤ人の王」であると聞いて、イエスを殺そうと思った。これを夢のおつげで知った父ヨセフは、マリアとイエスをエジプトに避難させた。これに怒ったヘロデ王は、イエス生誕の地近くにいる2歳以下の男児を全員殺した。


 幼児大量虐殺、なんとも凄惨なエピソードだ。王が恐れるほどイエスは幼児の時から重要な存在だった。これが福音書作者の主張のポイントだろう。ただ、イエス自身に直接の責任がないとはいえ、虐殺された多数の男児はイエスの身代わりになったともいえる。しかし、福音書には犠牲者への同情めいた言辞はまったく見当たらない。

 現代を基準にした無信仰者の未熟な感想かもしれないが、「なんだか、ちょっとね」と違和感が残る。