「無言歌」礼賛、唯、美形不要

映画「無言歌」を観る。

 1950年代、中国での百家争鳴後の反右派闘争をテーマにした作品。「右派」のレッテルを張られた人たちが、辺境の砂漠で強制労働に従事させられ、次々と死んでいく。ドキュメンタリー映画では実績のある中国人ワンビン(王兵)監督の作品。
 
 最近、絵画では「凄味のある写実」にはまっているが、この作品には劇映画の持つ「凄味あるリアリズム」を体感した。

 音楽はなし。砂漠を吹き荒れる風の音だけが館内に鳴り響く。他人の吐瀉物まで食べようとする飢餓のすさまじさ。政治権力のばかばかしいまでの残酷さ。その残酷さを観客に実感させる「映像美」としか言いようのない映像の迫力…うーん。一級のプロの仕事だ。中国本土ではいまだに上映が禁止されているという。それは、逆説的だが作品に対する「勲章」とも言える。

 難点をひとつ。収容所に夫に会いに若い妻が訪ねてくる。この都会のお嬢さん育ちの女性が、どうして砂漠の収容所にたどり着けたのか説明がない。しかもこの女性が女優顔した美人。「苛酷な現実」に圧倒されていた観客は、ここで「お芝居」であったことに気がつき、ちょっと醒めてしまう。母親が党幹部のコネで会いに来た、という設定ならまだ現実味があった。


 映画では、時々、美形がじゃまになる。今年観た映画でベストと言いたい韓国映画「息もできない」も主人公がりっぱな(!)チンピラ顔しているのに、ヒロインがアイドル顔で作品に傷をつけていた。邦画「悪人」でも、社会の下積みに淀む無力感と絶望感を提示するのに、妻夫木聡深津絵里満島ひかりでは、いくら熱演しても、やはり無理があった。

 凡庸な容貌の俳優をもっと使うべし。