世界描写と伝達それ自体

「UP」11月号(東京大学出版会PR誌)連載の「進化的人間考」(長谷川眞理子)から。

 「私」と「あなた」と「外界」の三つがある。


 たとえば「外界」をイヌとすると、子供がイヌを見て指さし、「ワンワン」という。そしてお母さんを見る。お母さんもそちらを見て、また子供と顔を見合わせて「そうね、ワンワンね、かわいいわね」と言う。この簡単なことは、三項表象の理解であり、非常に高度な認知能力の結果なのである。

 チンパンジーに対する言語訓練で、チンパンジーはたくさんの任意な記号を覚えるが、文法規則は習得しないことがわかった。


 また、数百の単語を覚えたチンパンジーたちが自発的に話す言葉の9割以上は、ものの要求なのである。「オレンジちょうだい」、「戸を開けて」など、教えられたシグナルを使って他者を動かし、自分の欲求を満たそうということである。「空が青い」、「寒い」など、世界を描写する「発言」はほとんど皆無だ。


一方、言葉を覚え始めたばかりの子供の場合、発話の九割以上がものの要求ということはない。「お花、ピンク」、「落ちちゃった」など、世界を描写する。


世界を描写して何をしたいのか?他者も同じことを見ているという確認、思いを共有しているということの確認である。一頭一頭のチンパンジーは、世界に対しかなりの程度の理解を持っているが、その理解を共有しようとしない。世界を描写して互いにうなずき合おうとはしない。

 チンパンジーの言語訓練において、世界を描写する単語を教えているのか、という疑問は起きるが、「世界描写の有無」で人間と類人猿との差をみるのは興味深い。

 ここで、内田樹が紹介していたヤコブソンの「交話的機能」を思い出した。

 (「交話的機能」とは)そこで語られているメッセージの「コンテンツ」ではなく、そこでメッセージが行き来しているという「コンタクト」の事実確認が優先するようなコミュニケーションのことである。


 「他者と死者―ラカンによるレヴィナス」(内田樹、文春文庫9


 ヤコブソンの原典いわく。

 メッセージの中には、伝達を開始したり、延長したり、あるいは、回路が働いているかどうか確認したり(「もしもし、聞こえますか」)、話し手の注意を惹いたり、相手の注意の持続を確認したり(「ねえ、聞いているんですか」)するのに役立つものがある。

 これはまた小児が獲得する最初の言語機能であって、小児は情報をもったメッセージの発信や受信が出来るようになる以前に、すでに伝達を行おうとしたがるのである。


 「一般言語学」(ローマン・ヤコブソン、みすず書房


 長谷川の三項とヤコブソンの二項は、コミュニケーションの当事者の観点からは「伝達する2者」であり、同じもの。確かに、道がなければ荷物は運べない。その意味で、「荷物」よりも「道」が先行する。

 内田は、子供だけでなく、小津安二郎作品「お早う」から、女性が男性の言葉を反復するだけの会話(平一郎「ああ、いいお天気ですね」、節子「ほんと、いいお天気」)を取り上げる。

 
平一郎が節子から受け取る有意の情報はゼロである。ひたすら「コンタクトが成立している」という事実を繰り返し執拗に確認し続けるこの二人に、小津は一言も定型的な愛のことばを語らせない。しかし、むさぼるように互いを求める彼らの欲望の激しさを、観客たちはこの「執拗さ」のうちにただしく感知するはずである。


思い当たる節あり。たしかに、交換している情報そのものよりも、情報交換、意思疎通そのものが快感となる相手が存在する。