ベルルスコーニ雑感

 このところ、出張続きでなかなかブログを更新できない。国際情勢の主役は、カダフィからギリシャ、そしてベルルスコーニへと移っている。いずれも、ささやかながらかつての野次馬稼業で現場で「見物」した案件である。書きたいことはいろいろある。ただ、ある程度、その後の情勢を調べてからでないと単なる昔話になるし・・・と思っている間に、ニュースの主役がまた変わりそうだ。


 ともあれ、EU問題については、マスコミでの分析・解説があまりに経済的視点だけに偏っている点が気になる。
もともと欧州統合は、それまで二度の世界大戦の大きな要因となった独仏対立を解消するための政治的構想だった。つまり、独仏が経済的利害を共有できるようになれば、両国の経済的対立が政治的対立、ひいては軍事的対立に発展することがなくなる、というわけだ。ドイツ人とフランス人が同じ通貨を使う、統一通貨ユーロはその大きな果実だった。ここまで欧州は50年の歳月をかけて通貨統合を実現させた。その間、当事国では左右の政権交代が何度も起こり、その度に「欧州統合の危機」が叫ばれ、1990年代半ばまで、キッシンジャーですらユーロ実現には懐疑的だった。

 欧州統合は、戦争を媒介とせずに国家を統合する人類史上初めての試みである。平和的国家統合には、膨大な時間と手間がかかる。マスコミのような一日、一週間単位の「短いシャッタースピード」で対象をつかまえるカメラでは、欧州統合はなかなか実像が捉えにくいというのが、かつて現場で見物をした実感だ。

 独仏一体化という大目的を守るために「ギリシャ離脱」はあり得るが、一部観測のように「ユーロ全体の崩壊」というシナリオは、今後、予測を超えた事件が何度か重ならない限り考えにくい。


 ベルルスコーニが正式に辞任し、後継政権は実務的な暫定政権が予測されているとのニュースが流れている。これで思い出したのが、1994年12月の第一次ベルルスコーニ政権崩壊だ。これは贈賄事件に絡んでの総辞職だった。驚いたのは、その後任内閣だ。イタリアでは内閣総辞職の場合、大統領が後継指名の権限を持つが(ひょっとすると今は規定が変わっているかもしれないが)、当時のスカルファロ大統領は、ディーニ首相以下、内閣全員を民間人から選んだ。つまり、内閣に国会議員が一人もいない政権が誕生し、「何のために選挙をやっているのかわからない」という批判が出た。イタリアでは憲法にも法律にも閣僚資格の規定がないために可能になった珍事態だったが、金融専門家のディーニ首相は手堅い手腕を発揮して、それなりの業績をあげた。その結果、「選挙で選ばれない人間がやった方がうまくいくなら、何のために選挙をやっているのか」との新たな疑問が生まれた。


 さて、今回も経済専門家のマリオ・モンティが首相になりそうだが、果たしてどうなるのか。


 ちなみに、TBSの「サンデー・モーニング」を観ていたら、「ベルルスコーニの9年にわたる長期政権」との説明が繰り返され、「日本では毎年、首相が変わるのにねえ」と司会者がコメントしていた。しかし、今回、ベルルスコーニ政権の期間は3年半で長期とは言い難い。ただ、これまで3次の政権を合計すれば9年になり、戦後イタリアでは首相としての最長在任記録保持者ではある。彼の下品キャラは有名だが、AFPがまとめているのでご参考までに紹介する。
http://www.afpbb.com/article/politics/2839897/8058018?utm_source=afpbb&utm_medium=detail&utm_campaign=must_read

 1995年2月にトスカーナ州ビアレッジョで撮影した写真を添付する。ここはカーニバルの時期に政治風刺の巨大な山車が出ることで有名。この時期あたりから、ベルルスコーニは山車の常連となった。巨大なお尻の下にある便器に仲間と一緒に入れられている山車をみると、これは雲古ということか。その後、下品キャラで十数年も政界で大きな影響力を維持したことを考えると、これもひとつの「愛され方」かもしれないと思う。

 もともと、イタリアは「首相任期の短命」では世界屈指の国。例えば、最初のベルルスコーニ政権の存続期間は226日で1年も持たなかったが、それでも当時で戦後52内閣のうち短い方から25番目だった。イタリア的には「1年持たない」のは普通である。

 それはそうと、日本のテレビでは、芸能ネタから国際情勢まで、同じような顔ぶれが事実誤認も含めてしたり顔でコメントする光景が日常化している。「いやなら見るな」と言われればそれまでだが、もう少し、なんとかならんのですかね。