辛亥革命は第二の明治維新?

朝日新聞10月9日付けの書評欄から、ピックアップ。


孫文辛亥革命を助けた日本人」(保阪正康ちくま文庫)は、宮崎滔天や山田良政・純三郎兄弟などがいかに献身的に中国の革命に関わったかを分かりやすく叙述している。

 興味深いのは、孫文を慕う日本人側のややロマン主義的な行動の傾向に比して、孫文自身は革命にかかわっては冷静なリアリズムを体得していたことである。本書は日本人の側の行動に、明治維新(また自由民権運動)の理想が日本では実現しづらくなっていたことへの代償行為を読みとっており、興味深い。

 
丸川哲史・明大教授


 確かに、この視点は興味深い。「未完の革命」、「裏切られた革命」の行方は、しばしばその後の歴史を大きく左右する。


 次は、中島岳志による「ケアの社会学」(上野千鶴子太田出版)の書評。

 介護保険法の成立によって、これまで家庭内の「不払い労働」だった介護が、家庭外の「支払い労働」へと拡大している。(しかし)「介護は家族が担うのが当然」という規範は根強い。


 上野は、家族介護は神話であり、解体する必要があると論じる。


 上野は、(ケアは愛に基づく無償の行為との)議論の背景にはジェンダーと階級のバイアスが潜んでいると指摘する。このバイアスこそ、ケア労働が全ての労働の下位に置かれ、「支払い労働」になっても安い賃金しか支払われない要因になっているという。


 ケアは女であれば誰でもできる「非熟練労働」とみなされ、供給源が無尽蔵と捉えられる。上野は、ケアを母性的な女の仕事と考える前提は思いこみであり、ジェンダー要因を崩さない限り、「タダのサービスになぜ高い報酬を支払わないといけないんだ」という見解は消えないと指摘する。


 さらに、問題は女性の側にも存在する。中産階級の主婦で有償・無償のケアボランティアに従事する人は「家政婦扱いされたくない」という差別的プライドから、低賃金ケアワーカーと自分を区別しようとする傾向がある。その意識から「自らのサービスの値段をすすんで切り下げ」、結果的に「低賃金のパート労働に出ざるをえない人々を排除」してしまう。ケア労働の賃金が安いのは、「わずかな価格差で、『崇高な奉仕』という正当化をあがなうためのイデオロギー価格なのだ。上野はここに女性の階級問題を発見する。

 納得できる部分と、現実に接点を持たない「分析のための分析」的部分とが混在している気がする。これは、この本を読んでみないと判断は下せない。