友川かずき、健在なり

友川カズキのコンサートに行った。これで三回目だ。

最初は30年以上前だった。都内の公会堂のような場所だったと思うが、絶叫する独特の歌唱は衝撃だった。こんな歌があるのか。こんな歌手がいるのか。ただ唖然、茫然となった。激しくギターをはじくため次々と弦が切れ、三曲目が終わるころにはギターには弦が二本しか残っていなかった。


二度目は約20年前。渋谷のライブスタジオだった。友川の傍らに大きなヤカンが置かれていた。一曲終わるたびに、このヤカンから湯呑に液体をそそいでぐびぐび飲んでいた。中身は日本酒か焼酎か、ともかく酒だった。二時間のコンサートの終わりには泥酔に近かったが、酔うほどに歌には迫力が増した。


そして三回目。場所は富士吉田市。コンサート会場とは名ばかりで、国道沿いの使われなくなった事務所のような一室だった。白壁は黒ずんでところどころはげ落ちていた。そこに折りたたみ椅子が並べられ、40人ほどの観客とスタッフで部屋は満杯となった。

開演三十分前に来ると、友川が観客とすでに焼酎で酒盛りを始めていた。

開演時間になった。席は最前列。最初の曲は、「一人ぼっちは絵描きになる」だった。

 むろん正気などではありはせぬ

 赤いガランス内なるデカダン

 村山槐多 思いし夜は

 何ためらうことなく残酷になる



 軽きに空をちぎって見せる

 パウルクレーの欲深き指は

 甘美な鳥の爪跡か

 名も無き民の暗号か


 一人ぼっちは絵描きなる

 一人ぼっちは絵描きになる


得意の絶叫はあまり入らない、静かな曲だ。20年ぶりのナマ友川。削いだような頬はふっくらとなり、黒髪もほとんど白くなっている。だが、変わってほしくない部分は、変わっていなかった。変わり果てたこちらの体内で一気に時間が逆流する。


曲の合間に、秋田なまりの一人語りがはさまる。内容がちょっと意外だった。


おれさ、ギャンブルやって、青空見て、センズリこいて、それで死ぬ。それでいいと思ってた。人生は棒に振るためにあるって思っていた。でも、今、頭の中にあるのは原発だけ。もうこれまで原発許してきた自分が許せない。日本は一部の守銭奴のせいで、もうだめになってる。


 曲とともに、傍らに置いた焼酎のピッチもあがってくる。歌の迫力は相変わらずだが、酒のせいか、年のせいか、おそらくその両方のせいで、昔に比べ歌詞が聞き取りにくい。


 歌の途中、会場で小さな子供がちょっと声を出した時と目の前の国道をオートバイが爆音を響かせて通り過ぎた時、表情がゆがんだ。子供の方に顔を向け、「うるさい。殺すぞ」。顔は笑っていたが、ゾクッとするものがあった。歌っている時は、世界には自分の歌声だけが存在を許される。


二時間余、一人で歌い切った。最後は足元がふらついていた。それでも「今日は酒が飲み足りなくて調子がでないな」とつぶやいていた。コンサートが終わると、その場で打ち上げ会となった。酒量ははんぱではない。酔ってはいるが、酔いが常態なのか、乱れはない。



観客は八割が男性。大阪から来た人もいた。「友川カズキを最初に知ったのは、羽仁五郎との対談集だったかもしれません」と隣の中年男性に話しかけると、「わたしも、羽仁五郎から知りました」と答えがかえってきて驚いた。


昔は、時々、友川カズキもテレビに出ていた。ラジオのDJもやっていた。ちあきなおみに提供した「夜へ急ぐ人」は、ちあきが紅白歌合戦で歌って、その異様さが話題になったこともある。友川が友川のままでマスコミに登場する余地があった時代だったということか。


それにしても、音楽ビジネスとはまったく無縁のコンサート。来てよかった。こちらのイメージが壊れることを恐れてもいたが、杞憂だった。しかし、友川も六十をすぎた。「次回は、二十年後」というわけにはいかない。ひょっとすると、来年あたり、またとんでもない場所でのコンサートをのぞくかもしれない。


※「一人ぼっちは絵描きになる」

http://nicoviewer.net/sm13741974


「生きてるっていってみろ」

http://www.youtube.com/watch?v=KfoE18I81_M&feature=related


夜へ急ぐ人」(ちあきなおみ

http://www.youtube.com/watch?v=Q-cu5K8d3xE