金子みすゞの虚無

 東京新聞夕刊(7月4日付け)文化欄の「金子みすゞの虚無」と題する記事が面白かった。筆者は、文芸評論家の尾形明子。

 
もし今、金子みすゞが私たちの心を捉えるとしたら、コマーシャルですっかり有名になったやさしい共生のイメージではなく、その詩が底知れない怖さと虚無を含み、それが透明なベールで包まれているからなのではないか。


 その根拠は以下の作品。(現代仮名遣いに変えました)


 お花が散つて

 その実が落ちて、

 葉が落ちて、

 それから芽が出て

 花が咲く。

 そうして何べん

 まわったら、

 この木は御用が

 すむかしら。


 「木」


尾形は、少女は繰り返される自然の営みに、命の喜びではなく、「疲れ」を感じていると指摘する。確かにそうだ。一種の輪廻離脱。生の繰り返しを「御用」と表現するすごさ。

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のように、

地面を速くは走れない。



私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように

たくさんの唄は知らないよ。



鈴と、小鳥と、それから私、

みんなちがって、みんないい。



「私と小鳥と鈴と」


最後の「みんなちがって、みんないい」だけが有名になり、なんだか「個性尊重」がテーマのように思われているが、全体をみると、まったく違う。

通常、人間は、小鳥や鈴より強く格上と思われている。しかし、金子は、小鳥や鈴に引け目を感じ、そのうえで、「私だって、小鳥や鈴に負けないものを持ってるんだから」と懸命に訴える。

相田みつおの人生訓のような前向き人生肯定ではなく、むしろ、「悲しい自己肯定」だ。


この裏まちの

ぬかるみに、

青いお空が

ありました。


とおく、とおく、

うつくしく、うつくしく、

澄んだお空がありました。



この裏まちの

ぬかるみは、

深いお空で

ありました。


「ぬかるみ」


 裏町のきたないぬかるみに、澄んだ深い青空が映っている。絶望のなかに希望をみる。しかし、その希望は実体がなく、希望の反映でしかない。


金子は、義父の命令で結婚をして女の子を生み、三冊の詩集を書き残して、1930年3月に26歳で自死した。


こうした作品群を、「少女の抒情詩」として回収してはならない。