キースと阪田寛夫

 昨晩、キース・ジャレットのコンサートに行った。

 即興演奏は即興を感じさせず、お決まりの奇声が間にはさまる。客席を埋めた中年男たちは、ノスタルジーに酔わせてほしいとカネを払った者たちだ。だが、みんながその気になり所定の位置にいるのに、なんだかうまくいかない。

 ただ、演奏会が一通り終わり、アンコールでキースは四回も舞台に出てはピアノを弾いた。これがよかった。Over the rainbow。うまい。弱い音が効いている。We love you! と客席から声がかかると、ちょっと間をおいて、キースがI need youと応じ、客席が湧いた。最後の最後で、アンタとアタイタチとの一体化が成立した。

 脈絡はないが、今日、酔って深夜帰宅したら、定期購読の「一冊の本」(朝日新聞出版)が届いていた。最初のページに、北村薫が「阪田寛夫全詩集」(理論社)の紹介を書いていた。

まず、詩の紹介がある。


 「カミサマ」


こんなに さむい


おてんき つくって


かみさまって


やなひとね


 このあとも、読ませる。

 阪田寛夫―といえば、すぐに持ち出されるのが、<サッちゃんはね、サチコっていうんだ ほんとはね>の「サッちゃん」である。要するに、こう書いてしまうのが便利なのだ。

 「あれ、−あれ書いた人」

  「そうかあ」

 しかし、その人が芥川賞作家であることは、思いのほか、世に知られていない。

 私にとって忘れられないもののひとつが、今から四十数年前、NHKで放送された「あひるの学校」だ。原作阿川弘之。「全詩集」の年譜によれば阪田は、この台本を倉本聡と交替で執筆している。

 うわべだけ見れば愉快なお話だった。そうとしか記憶していない人もいるだろう。だが、ストーリーの裏に、次女の決して表には出さない愛の孤独が見事に描かれていた。その筆は、時に顔をそむけたくなるほどに苛烈に、心の痛みをえぐっていた。
 なぜ、彼女がカメラの道を選ぶのか。深く沈んだせつなさ。そして、長女をめぐるあることから、たえきれなくなって朝帰りした次女加賀まりこと、一睡もせずに待っていた父芦田伸介との、息をすることもはばかられるほどに緊迫したやりとり。
 静まり返った清澄な朝の空気の中で、この世で最も愛する人から「お父さんはね、お前のそういう…」と、以下、最も痛い言葉で突かれる加賀まりこ。だが、そう生きるしかない彼女なのだ。

 この台所の場面の二人の台詞、表情は永遠に忘れることが出来ない。「あひるの学校」とは、そういう、人間の劇だった。この回の脚本担当は阪田だったーと思いたい。



 <画を描くとは ゴーギャン/すなわち/知らない浜辺で死ぬことか/砂だぜ お前の食ってるのは/のたうちまわる/日が沈む>


 「全詩集」を編集した伊藤栄治は、阪田が口癖のように「俺はダメだ」と言っていたという。
「全詩集」の編集に16年をかけた伊藤は、昨年12月に病死した。


 「僕はこの全詩集に編集者生命をかけています」と口癖のように言っていた。 伊藤はいう。これは<資料集>でも<商品>でもない。著者、読者と共に同時代を生きてきた出版人の志の仕事だと

おやすみ。