おひさしぶりです

お久しぶりです。

 「こんな時期だからこそ、個人的記録も普遍的意味を持つ」などと偉そうにいいながら、なかなかブログを更新できなかった。情けなくもあるが、「何か」を得た実感もある。

 新聞各紙の書評紹介から再開しよう。

 最初は田村隆一全集の紹介から。

一篇の詩を生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない
       「四千の日と夜」



 詩人にとって書くことは、絶望という廃墟をツルハシで掘り起こすことであった。
田村の魅力といえば洒脱な文章で、ユーモアとアイロニーに貫かれている。それでもなお、通して読んでみれば、彼は晩年に至るまで詩にも散文にもどこか非観の色が強く滲み出ていることに気がつく。

 いま、私たちもまた廃墟のなかにある。美談、善意、絆。がんばろう日本と声がかかり、人や社会と<コミットメント=かかわりあうこと>で立ち直ろうとしている。しかし、生き残った者のコミットメントだけで廃墟から立ち上がれるのだろうか。むしろ「死者を甦らせるただひとつの道」として<デタッチメント=かかわりのなさ>、対象からあえて距離を置いて鳥の目で俯瞰して考えることもまた必要ではないか。生き残ったことは、すでに死者に対してデタッチメントであるとも言える。喪の体験を持ちながらも、覆らない出来事を受け入れなければ再生はないのかもしれない。
 
 「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と語った詩人は、生涯にわたり言葉の力を信じて廃墟の中の仄かな光を描き続けた。


田村隆一全集」(河出書房新社)、河合香織 読売新聞110403


 次は、チンパンジー

 チンパンジーはどんなに賢くともヒトにはなれない。何かが足りないのだ。その何かこそヒトをヒトたらしめる要素である。

 本書は、その要素の一つは想像力だと指摘する。チンパンジーは想像力が欠如している。未来を見通すこともできない。だから、どんな惨禍に見舞われようとも楽天的だ。絶望しない。

 しかし話はそう簡単ではない。著者は「ヒトは失うことによって進化した」と思弁的に展開してみせる。例えば即時記憶はチンパンジーの方が優れている。ヒトの記憶はもろく、ときに混線する。しかし、その正確さと引き換えに、想像力と創造力を手に入れた。

 折しも先月、ヒトはチンパンジーに比べ510個の遺伝子が不足しているという研究成果が「ネイチャー」誌で発表された。損失することによって前進することは、進化の歴史が証明している。心が妙にシンクロした。


 「想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心」(松沢哲郎岩波書店) 池谷裕二  110403読売新聞


 ディタッチメントによるコミットメント。喪失による前進。魅力に富む逆説だ。