大震災、ささやかにブログ再開

 ほとんど記憶に残っていない一年もあれば、一生忘れられない一瞬もある。東日本大震災後のこの10日間は、これから一生、何度も思い出し、語ることになるだろう。
 
 震災時には、都内の美術館にいた。「美術館は免震構造なので大丈夫です」とのアナウンスが直後にあり、安堵したが、これまでの生涯で一番の揺れだった。
 その後、仕事面でも対応に追われ、ブログ更新の気分にならなかったが、こういう時期こそ、個人の記録が普遍的意味を持つのではと思いなおし、メモ書きになるが、ブログを再開する。

 揺れるたびに感じる「生の実感」。


 関東在住者にとっては、津波は「他者の災難」だが、原発事故は他人事ではない。当事者と傍観者の谷間に置かれている。
  

 自分の生活だけでなく、自分たちの社会の存立基盤が危機にさらされている不安感、と同時に、共同体の危機が生み出すある種の高揚感や一体感が首都圏を覆っているのも事実。


 首都圏住民全体が同時に非日常的経験を共有する稀有な事例。


 生死にかかわる情報を他者(政府、マスコミ)に全面依存せざるを得ないことへの苛立ち…


 ともあれ、民放テレビのAC広告の常軌を逸した繰り返しはなんとかならないのか。内容が「良心的」であろうがなかろうが、一種の暴力である。AC広告が流れ出したとたんに他局にチャンネルを変えるのだが、そこでもまた「仁科亜希子、38歳で子宮頚ガンを発症」をやっている。仁科亜希子も抗議すべきだと思う。