血縁映画「息もできない」

 韓国映画「息もできない」。ずっと前、予告編を見た時に気になっていたが公開時に見逃した。ようやく名画座系の映画館で見ることができた。

 作品全体に力がみなぎっており、驚き、感心した。

 韓国映画といえば、演技過剰、荒唐無稽のイメージがあったが、これは「すごみのあるリアリズム」に徹した作品だった。とくに主役のチンピラ役の演技は、職業上の「演技」の範疇をはみ出しており、直接的な存在感に揺さぶられた。
 主役を演じたのは、ヤン・イクチュン。三十代半ばの俳優で、この作品では、製作・監督・脚本・編集・主演の一人五役をこなしている。目つきをみても、ただもんではない。

 「血縁と暴力」がテーマの二本柱。特に儒教を社会背景に持つ韓国ゆえか、「血縁の濃さ」が強く漂う。
映画の人物たちは、酒飲んでは暴力をふるう父親を激しく罵倒し、反発する。けれども親を捨てられない。今の日本の基準からすれば、「なんで一緒に暮らしているのか。さっさと家を出ていけばいいのに」となるのかもしれないが、日本でも一世代前は似たような状況だった。

 喜怒哀楽がつまった「血縁のしがらみ」は、社会の基本的な成立条件であり、スイッチのように簡単に切れるものではなかった。当然、「血縁から離脱」は相当の対価を要求されるものだった。

 これは良し悪しの問題とは別だ。血縁の弱体化が進むこの国では、もうこのような濃厚な家族映画はできないだろうと、隣国の映画をみて痛感した。

 
 追記:これを観たのは銀座シネパトスだった。「銀座=ハイソでオシャレ」のバカげた等式を完全粉砕するイカシタ小屋だ。表通りから薄暗い階段を下りると、小さな地下街がある。昭和40年代がそのまま冷凍保存されているような場所だ。ここに居酒屋と並んで、シネパトスがある。椅子は新しくなって快適だが、「ハイソでオシャレ」とは無縁の一人客が多い小屋だ。