各紙書評欄を「ごった煮」

今年もあと2日を残すのみ。

最近お世話になっている各紙書評欄にも、「今年の3冊」のような特集をやっていた。年末でバタバタしているので、とりあえず小生のアンテナにひっかかった書名と著作者などを「ごった煮」風のメモ書きにしてご紹介しておきます。


◆「昭和の思想」(植村和秀、講談社選書メチエ
海軍省調査課長の高木惣吉が、依拠する世界観創出のために西田幾多郎に接近。 蓑田胸喜の分析が面白いとか


◆「正岡子規の散文がよし」との書評あり
〜「仰臥漫録」(この原本復刻版がおすすめとか、ただし古本のみ)、「松蘿玉液」など。さっそく近所のBookOffで「墨汁一滴」(岩波文庫)を300円で購入した。
 
 これは死の前年、痛みにのたうちまわっている時に書かれた随筆だが、解説の粟津則雄は「そういう苦しみにさいなまれながら書かれたものとはとても思われぬ」と評している。粟津は、「子規の随筆は、まさしく彼の『骨髄』である。虚子、茂吉などの門人はそれぞれの世界において、師(子規)に劣らぬ、時には師を上まわる作をなしているが、随筆において子規に及ぶ者はいない。(特に)晩年の随筆において無類の純度に達している」と書く。読むのが楽しみだ。
 
 冒頭を少し読んでみる。病床の枕辺に贈り物の地球儀を置いているとの記述がある。

「直径三寸の地球をつくづくとみてあれば、台湾の下には新日本と記したり。二十世紀末の地球儀は如何に変わりてあらんか、そは二十世紀初めの地球儀の知る所に非ず。とにかく、箱の上に並べられたる寒暖計と橙と地球儀と、これ我が病室の蓬莱なり」

 そして、一首。

 枕べの寒さ計(ばかり)りに新年の年ほぎ縄を掛けてほぐかも

◆「硝子の葦」(桜木紫乃、新潮社)

〜評者の川本三郎が、今、 もっとも注目する作家だという。


◆「神話から歴史へ 天皇の歴史01巻」(大津透)

◆「神的批評」(大澤信亮、新潮社)
〜大風呂敷や背後の論理と無縁の誠実な思想書。(小嵐九八郎評)

◆「ドストエフスキー」(山城むつみ

◆ 「アメリカ大統領の信仰と政治」(栗林輝夫、キリスト新聞社)
アメリカの公共宗教」(藤本龍児、NTT出版)
〜評者の森本あんりが、「政教分離こそが米国のゆたかな宗教性表出を可能にしている」と指摘していた。

◆渡邊二郎著作集が筑摩から開始

◆「はじめの穴、終わりの口」(井坂洋子幻戯書房

〜「 詩人の著者のまなざしは冷え冷えとして透徹。虚飾もなければ露悪もない」との評。<ずいぶんと長く生きてきたが私は私と合致せず、うわの空で過ごしてしまったみたいに記憶が空白だ>、<私よ、そこをどいてほしい。早くしなければ夜がやってきてしまう>。

 書店で探すも、見つからず。


◆「京都うた紀行」(永田和宏河野裕子京都新聞出版センター)

〜なぜ、河野裕子が多くの人を惹きつけたのか。それは、生の豊かな肯定ということにあったのではないか。生の根拠が揺らぐ現代において、それはかげがえのないメッセージだったのだ。

 かつて岡井隆塚本邦雄を「負数の王」と呼んだ。そして彼に匹敵する「正数の王」を待ち望んだ。今、はっきり分かる。王というのは相応しくないからこう言おう。河野裕子は「正数の母」なのだ。人の愚かさや出鱈目さをも包容する大きな母だったのである。

 加藤治郎評、日経1226

◆「星座から見た地球」(福永信、新潮社)
〜方法的実践や小説に向き合う態度がまったく独特。この小説を読めたことは幸せだった。(陣野俊史

◆「ある小さなスズメの記録」(クレア・キップス、文藝春秋
〜12年間のスズメとの同居記録。

「私のベッドは彼(スズメ)の天国であり、羽毛布団の中で私といっしょに丸まるのは彼の至福であった。このことは彼の生涯を通じて変わらなかった」。スズメは、「歌まで歌うのである。まず、足でぴょんと蹴った反動でひっくり返るのが好きで、仰向けになって横目で私(飼い主)を見てコミカルな表情をし、くすぐると、小さな足で指を押しのけて遊ぶのだ」。

 中村桂子評、毎日1226

◆「ロボット兵士の戦争」(ピーター・シンガー、NHK出版)
〜遠隔地から遊牧民相手にロボット兵器で攻撃を仕掛ける。ぞっとする現状または近未来を淡々と描く。(金森修

◆「現象学の基本問題」(ハイデガー、作品社)
〜「存在と時間」の刊行直後の講義録であり、同書を補完する重要な本である。ハイデガー講義特有の「前回のおさらい」も所収。訳語の分かりやすさにも感服。(水無田気流

◆「ユダヤ人の起源―歴史はどのように創作されたのか」(シュロモー・サンド、浩気社)
〜事後的な構築として歴史記述をとらえる立場からの、ユダヤ史の徹底した問い直し。(細見和之