トルストイ没後100年

 毎日の書評欄が「トルストイ没後100年特集」をやっていた。

 (ゴーゴリが断食自殺した1848年)この年、ロシア軍砲兵隊コーカサス駐屯下士官レフ・トルストイが処女作「幼年時代」を発表した。24歳だった。

 私は最近、40数年ぶりに「幼年時代」をひもといて、これほど深い再読の喜びに浸ったことはない。

 トルストイドストエフスキーはまるで異質な作家だと決めつけられがちだ。だが、ドストエフスキーほどトルストイの作品を愛好し、憧れ、彼のような小説を書くことを終生夢見た作家はいないのだ。


 死の数年前に書き上げられた「ハジ・ムラート」は、いわばゴーゴリを超え、フローベルを超え、ドストエフスキーを、そしてトルストイ自身をも越えて、文学にできることはここまでだ、人間の言語表現は最早、これ以上のことはできない、と思える到達点にある。

 辻原登評、毎日1121

 ここまでの絶賛を読むと、読みたくなる。既読は恥ずかしながら「イワン・イリイチの死」だけ。まずは「幼年時代」あたりからお付き合いをはじめますか。

ほかにも関連記事があった。

 トルストイはなんとなく古臭く説教くさい作家として敬遠される傾向がある。しかし、それは誤った先入観に基づいたものではないかと思う。
 1901年、ノーベル文学賞が発足したとき、誰もが第一回の受賞者はトルストイだろうと考えた。ところが、シュリ・プリュドムというフランスのあまり有名でない詩人への授賞が決まったものだから、スウェーデン・アカデミーには抗議が殺到して、ノーベル賞委員会は釈明をせざるを得なくなった。その時書かれた報告を見ると、なんと、トルストイノーベル文学賞が称揚すべき理想主義からほど遠いため、賞に相応しくない、というのである。

 (現代からみると)トルストイほど人道主義を貫き、理想主義を激しく追い求めた作家はいない。ところが、当時の世界の権力者たちからすると、トルストイはむしろ過激な危険人物だったのである。

 彼は社会的な矛盾や不正義に公然と抗議して国家権力を恐れず、真の宗教を追求しながら、教会の権威を否定したため、ロシア正教会から破門されたが、それでもひるまなかった。


 トルストイの小説のどこが面白いのかと要約しようとすれば、とたんに要約を拒む小説の抵抗に直面して、途方に暮れることになる。「アンナ・カレーニナ」が発表された直後、この小説で何を言いたかったのかという愚かな質問をした批評家に対して、トルストイはそれに答えるためには、同じ小説を全部最初から最後まで書き直すしかないだろう、と書き送っている。


トルストイの文学は常に具体的な生の手触りを扱っている。巨編「戦争と平和」には、歴史哲学だけではなく、戦場で倒れた主人公がふと見上げた青空の初めて見るような美しさが鮮やかに描かれていた。

 沼野充義 毎日1121

 ロシア文学と言えば、最近、ご紹介した佐々木中氏の著書に、ロシア文学黄金期のロシアは文盲率90%以上だったという驚きの記述がありました。佐々木流の熱い演説も堪能されたし。

1850年、ロシア帝国の文盲率は90%、最新の研究だと95%とする文献もある。(字が読める10%も)本が読めるかというと、極めてあやしい。暦が読めて標識が読めて自分の名前が書けるくらいのものかもしれない。絶望的な状況です。


 では、この1850年前後に誰が何を出版していたか。プーシキンが1836年に「大尉の娘」を出す。ゴーゴリが1842年に「死せる魂」を出す。ドストエフスキーが1846年にデビュー作「貧しき人びと」を。トルストイが1852年に「幼年時代」を。ツルゲーネフが1852年に「猟人日記」を。


 何なんですかこの人たちは。茫然でしょう。いったいこの連中は何を考えているのか。端的に九割以上読めないんですよ。ロシア語で文学なんてやったって無駄なんです。


  これくらいのことを指してはじめて危機というのです。(現代において)文学の危機なんて言って騒いでいる人は、言っていることが温(ぬる)いんです。
 
明日起きたら日本人の文盲率が9割になっていたとしたら、日本の作家の九割以上は書くのをぴったりやめると思うんですね。意味がないから。

 (現代作家の)みなさん、ドストエフスキートルストイが小説を書いていた時代を黄金時代だと思っているわけでしょう。それに比べて自分たちは売れない、文学が置かれた環境がいけないから、と思っているわけですよね。とんでもない。そんなことを考えることは、今挙げてきたすべての偉大な名に対する侮辱です。

 もっともっとひどい有様だったのだから。それを生き延びてきたのだから。それでも創意工夫を重ねて言葉を紡ぎ続けてきたのだから。


 何故か。どうしてそんなことが出来たのか。当然です。文学が生き延びる、藝術(アート)が生き延びる、革命が生き延びるということが、人類が生き延びるということだからです。それ以外ない。何故書き続けるのか。書き続けるしかないじゃないですか。他にすることでもあるんですか。

 ドストエフスキーたちは、一割以下に賭けて勝利したのです。


ギリシャ時代の本は千冊につき1冊しか残っていない)つまり、99.9%は消え果ててしまった。ではギリシャ文学は敗北したか。彼らの努力は無駄だったか。そんなことは無い。ある訳がない。99.9%の死滅を超えてギリシャ文化はイスラーム文化を育て、ヨーロッパを創り、そしてわれわれのこの世界の礎となった。彼らは勝利した。0.1%の絶対的な勝利です。これは峻厳な事実ですよ。夢想ではない。


われわれの戦いというのは、0.1%生き延びれば勝つ戦いなのです。われわれに敵というものがもし居るとすれば、連中は0.1%でも逃したら負けになる。つまり、われわれは圧倒的に有利な戦いを戦っているのです。このことを忘れてはならない。


「切りとれ、あの祈る手を」(佐々木中

どうでしたか。アタル節。つい茶化したくなるのですが、ブログでささやかにものを書いている者にも、戦闘意欲を湧かせてくれる貴重な文章でした。

イワン・イリイチの死」については、別のブログに書いていたことを思い出しました。

http://blogs.yahoo.co.jp/soko821/20427082.html



※実はブログはyahooでスタートさせたのですが、読者の層が違うのかなと思い、途中から同じ内容をHatenaブログに掲載しています。最初は「乗り換え」のつもりだったのですが、yahooにもごく少数ながらありがたい読み手の方々がおり、デビューの愛着もあるのでそのまま二刀流を続けています。