各紙書評欄から(2)

新聞各紙の書評欄紹介の続きです。

 著者と同じブルノ出身の作家クンデラはかつて、中央ヨーロッパにこそ物語の鉱脈ありと説いた。その主張の正しさを裏付ける、みごとな怪作にして快作である。

 野崎歓評 「わたしは英国王に給仕した」(ボフミル・フラバル、河出書房新社)日経1114

 なんだか面白そうだ。中欧といえば、日経の同じページに「充たされざる者」(カズオ・イシグロ早川書房)の紹介記事もあった。

 冷戦後の中欧を舞台に、人々を支えていた価値観やイデオロギーが崩壊した後、信ずるに足る未来が見えてこない憂鬱と閉塞感を、独特の手法で描き出したとも評された長編だ。

 中島京子

 この日の日経の書評欄には、この夏64歳で亡くなった歌人河野裕子について、喪失感が「一種の社会現象」(岡井隆)となって広がっているとの気になる記事もあった。歌会始の選者だったことから「偲ぶ会」には皇后から歌が届けられたという。

 いち人(にん)の大き不在か 俳壇に歌壇に河野裕子しのぶ歌

 「いち人の大き不在」。社交辞令を越えた言葉だ。毎日の短歌欄には、前述の「一種の社会現象」が皇后の言葉として紹介されていた。

 戦後最高のノンフィクションは何か?

 編集者や書き手仲間の酒場談義でそんな話がしばしば出る。私が「不当逮捕」と言うと、必ず誰かが「いや、『誘拐』だ」と異を唱える。どちらも本田靖春作品で甲乙つけがたい傑作だから拘る必要はないのだが、互いに頑として譲らない。それだけ本田への思いが強いのである。
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「もうあんな凄い書き手は現れないよね」

 冒頭の酒場談義もたいてい誰かが6年前に没した本田への追慕の念を口にして終わる。後に残るのは言うに言われぬ寂寥感である。

 魚住昭評、毎日1114

 深く同感。本田靖春氏については拙稿あり。

http://blogs.yahoo.co.jp/soko821/26154980.html

 アメリカの二大政党ー共和党民主党は、党の性格が入れ替わった。民主党奴隷制の上に立った保守的な党であった。リンカーンは北部を代表する共和党である。その共和党が保守化し、民主党がリベラルな党になった。不可思議といってもよい。もちろんルーズベルトの登場によってである。

 ルーズベルトニューディール大恐慌を克服できず、戦争経済への突入がこれを実現したという本書の記述は、今日では定説である。

伊東光晴評、「知っておきたいアメリカ意外史」(杉田米行、集英社新書)毎日1114


 食欲がそそられる本だ。ただ、伊東光晴の書評文に、論旨が不明瞭な部分があった。同氏の文章の明晰さには定評があるだけにどうしたのだろう。乱れ方からは、少し老いを感じた。小生の杞憂だと思いたい。

 そのほか、産経に紹介されていた「封印 警官汚職」(津島稜、角川書店)も面白うそうだった。また福岡伸一今西錦司へのオマージュのなかの一文も気になった。

 複雑な仕組みがなぜ未完成の段階で淘汰されずに進化できたのか?というような、ダーウィニズムがなお十分説明しきれないでいた疑問を解き明かそうとする試みが、ダーィニズムの中から起こっている。(みすず書房刊「ダーウィンのジレンマを解く」参照)

 新聞各紙の書評欄をまとめて読むと、意外に広範囲に学べることに気がついた。悪乗りして少しさかのぼってみようと思う。