各紙書評欄から(1)

 ここ一カ月くらいの新聞各紙の書評欄をまとめ読みした。
 

 大平正芳は、「40日抗争」の際、福田赳夫自民党本部で大げんかして官邸に帰ってきて、私と一緒に昼食を取っていたら、「オレに万が一の時、誰を総理にしたらいいと思う」と聞く。答えられないと、狂気の目をしながら「福田赳夫だ」と言った。個人の感情が入り乱れているはずだが、そういう求道者のような発言になるのが大平らしい。


 加藤紘一評「この人、この3冊」(毎日、1107付け)

 大平正芳は、口癖の「アー、ウー」でしか記憶されていないが、日本の首相には珍しいキリスト教徒で、かつ、学究肌だった。

 長谷川は、俳句、短歌での子規の功績と同じくらい、散文への貢献を評価する。明治年間の日本は、書き言葉と話し言葉とのはなはだしい乖離に悩み、近代化のためには新しい文体が必要だと考えながら、それがうまく入手できず、困っていた。
 その時寝たきりで暮す子規は、文章を口述して家族や友人に書き取らせるという形で書いたため、おのずから「簡潔な口語文体」が出来上がった、というのである。

 在来このことは、虚子、漱石などによる写生文の運動としてとらえられていた。それを長谷川は子規個人の事業という面にしぼり込んで顕彰する。

 「子規の仕事は俳句と短歌だけにかかわるのではない。それは近代の日本語全体にかかわるものだった」


  丸谷才一評 「子規の宇宙」(長谷川櫂角川選書) 毎日1107付け

 言文一致運動を子規は自宅の布団で寝ながら推進した。これは面白い視点だ。

 戦前の日米経済戦争は、米国にとっては、中国に対する日本の帝国主義的野心をくじくことを狙った、いわば戦わずして勝つための苦肉の策だった。

 この戦いにとどめを刺したのは、対日輸出規制ではなく、日本の在米金融資産の凍結であった。欧州戦争勃発後、ドルのみが決済通貨として機能し、日本が貿易を行うためにはドル資金へのアクセスが不可欠であった。その肝心のドルの財布のひもを握られてしまったのだから、日本経済の破綻は時間の問題となった。しかし、これは結局、日本を戦争へと追い込んでしまう。

 米国のイランと北朝鮮に対する部分的資産凍結はガス抜きがきちんと用意されなければ不本意な結果を招くかもしれない。(要約)


 蓑原俊洋評 「日本経済を殲滅せよ」(エドワード・ミラー、新潮社) 日経1107

 
 金融資産凍結の威力の大きさ。覚えておこう。

 男性が男性として成立可能なのは「女性という他者」との差異化と優越性による。「ミソジニー(女ぎらい)」は、「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」「ホモソーシャル(性的であることを抑圧した男同士の絆)」と共に、性別二元制のジェンダー秩序を補強する原理なのである。

 ミソジニーは、男性には自らの女性性の否定につながり、女性には自己嫌悪となる。


 水無田気流評 「女ぎらい」(上野千鶴子紀伊国屋書店) 日経1107


 ホモソーシャルは、日本の政界、ビジネス界を分析するには、はまりすぎる道具になりそう。

 「売文」は卑下する意味があるが、いまから100年前の明治末期には堂々と「売文社」という看板をかかげ、広告や借金の依頼など、あらゆる文章を請け負った人物がいた。社会主義者堺利彦である。そのときの宣伝文句は「パンとペンの交叉は即ち私共が生活の象徴であります」というのであった。

 戦前の思想運動史は複雑で、とかく肩がこるものだが、重厚なテーマを軽妙に、小さな記事を大きな発見に結び付ける手法が、堺利彦という人物を、生き生きとよみがえらせることに成功している。


 紀田順一郎評 「パンとペン」(黒岩比佐子講談社)  日経1107

 筆者の黒岩比佐子さんはこの書評が出たすぐあと、11月17日にガンで亡くなられたとのこと。亡くなる直前まで書いておられたブログを読むと、「ものかき」としての志と途半ばで消えることの無念さが伝わってくる。
 黒岩さんの著作はまだ読んだことがないが、遺作となった本書はぜひ読んでみたい。

※黒岩さんのブログ  http://blog.livedoor.jp/hisako9618/

 書評欄紹介はまだ続きますが、本日はこの辺で。

 紅葉の写真はオマケです。