モネとジェローム、パリ対決

パリのグラン・パレでモネ展を観た。

 これは、オルセー美術館の企画で、オルセーの威信をかけて、世界中から有名なモネ作品を集めている。ルーブル、オルセー、オランジュリー、マルモッタンと、名だたる美術館があるパリだが、これだけの質量の個人展はそうあるものではない。連日、待ち時間が2時間以上にもなるという。


 最初は、写実主義の色濃い作品が並ぶ。


 「モネになる前のモネ」が試行錯誤を繰り返した時代だ。それが、徐々に印象派的な作風に変化するプロセスが、美術の教科書でおなじみの実物で手に取るようにわかる。といって、美術史的な理解が深まるだけではない。モネが抱いていた、「何を見るか」ではなく「見えること」自体からくる喜びが直接伝わってくる。ぜいたくな経験だ。セザンヌの名言、「モネは眼にすぎない。しかし、なんという眼だ」という言葉を思い出しながら、会場を進んでいく。


 数年前の日本でのモネ展に出品された「かささぎ」に再会する。積もった雪の輝きをこれほど表現した作品を他に知らない。よく見ると積もった雪に微妙に暖色系の色がついている。それが雪の輝きを増す効果を出している。つまり、「雪=白」の等式を否定することで「白」の強度を高めている。

 そういえば、通常、影は黒かグレーで描かれるが、モネの描く影には色がついている。影に色をつけたのは、美術史的にはティツィアーノドラクロワだけだと聞いたことがある。

 こんなエピソードを聞いた。

 モネが若い絵描きだった時代、ルーブル美術館内で絵を描く許可を得た。通常、画家たちは館内で名画を模写するにために許可をもらうのだが、モネの目的は名画ではなく、見晴らしのよい窓だった。ずらりと並ぶ名画に背中を向け、モネは館内の窓からパリの風景を描いたという。風景画家の面目躍如たる痛快なエピソードだ。


 年齢を重ねるにつれ、モネの作品から、人間の姿が後景に退き、やがて人間の姿が小さくなり、とうとう無人の画面が多くなる。人間に特別な意味を持たせない。モネにとって、人間は風景の一部にすぎなかった。


 連作の展示も、「睡蓮」、「積み藁」のシリーズはもちろん、「ルーアン大聖堂」が5枚、「日傘」が3枚も並んでいた。


 ともあれ、モネのすごさと展覧会のスケールに圧倒された展覧会だった。

 同じ日に、オルセー美術館に行く。こちらは、印象派を徹頭徹尾敵視したジェロームの展覧会が開かれている。
 ジェロームといえば、確か中東を舞台にした笛を吹いている少年の作品がサイードの「オリエンタリズム」の表紙に使われていた。

 印象派のような「視覚それ自体」ではなく、視覚を通じて宗教や歴史物語を語ろうとしたのが、19世紀のフランス・アカデミー絵画の特質だった。理屈の上では、視覚は物語に依存しているはずだが、ジェロームの理想化された、正確に言えばゆがんだ想像力で理想化された裸体美は、主題から逸脱しかかっており、魔力を感じた。

 さらに差別的と非難される中東をテーマにした作品群だが、街角に座り無表情でこちらをにらむ中年のアラブ人を描いた作品からは、報道写真の持つインパクトを感じた。

 同時期に存在した正反対の美術運動を代表する画家の作品展を、単独の美術館が同時期に企画、運営するとは…運動体としてのオルセー美術館の底力に感服した。すごい。


※写真は、グランパレ前でモネ展に並ぶ人たち