力作「悪人」、でも美男美女が難点

 映画「悪人」を観る。吉田修一の原作は、ディテールを積み重ねた精巧な寄木細工だったが、映画は細部よりも大きな物語性に重点が置かれていた。監督の力技を感じさせる、力作だった。

 評価したうえでの注文だが、地方都市に生きる青年の閉塞感を演じるには、やはり妻夫木には荷が重かった。カナダで映画賞をとった深津絵里は抑制が効いた名演技だったが、本人のせいではないが、美人過ぎた。


 主人公、被害者の女性、主人公と逃避行をする女性も、金持ちでもなく極貧でもなく、地方に暮らす普通の人たち。ただ現状に満足してはいない。「ここではない所で、親と違う人生を生きてみたい」と思いながら、青春が過ぎ去ろうとしている。「このままでいいのか」と焦りはあるが、かといって、自分に現状を変える具体的な目標も恵まれた境遇もない人たちだ。つまり、大多数の若い観客たちの自画像でもある。

 それなら、登場人物が全員、どこでもいるような平凡な風貌の方が観客に訴え、作品に凄味が出たような気がする。美男美女の俳優を使うのは、商業映画の宿命だから仕方がないが、美男美女抜きの配役で観たかった。

 それから、方言指導はもう少し丁寧にしてほしかった。たとえば「大丈夫かと」とのセリフ。いくらなんでも、こげなことは言わんちゃなかと。それとも、最近の若かとはこげな風に言うとかいな。「これでよかとね」でよかやなかね。