書評「思想家の自伝を読む」を読む

新聞の書評から

 自分探しなどするな、他者に徹底してこだわれ。これが著者の挑発である。ブログやツイッターに氾濫する自己露呈の強迫と手前勝手なナルシシズム。他者のまったき不在から刹那的につぶやかれるだけの言葉からは何の創造性も生まれない、と。<書くこと>と<私>のあいだのこの短絡的な慣れ合い関係からの脱出手段として本書が説くのが「自伝」を読むことである。

 優れた自伝とは、常識的な表皮に守られた自我の縛りから解かれた、「私」なるものの多様で未知の像を探究する行為なのだ。それは自我に淫することなく、自己を疑い、自己を突き放し、自己に抗い、自己を風刺するすぐれて批評的な実践である。

 
 自己を「異なる者」にするために書き続けたサルトル。植物への不思議な視線を介して社会と自己を接続させようとした林達夫。サイードの生涯における不眠の意味。


 刺激的な読みが随所に示され、自伝という表現がけっして素朴な「自己語り」ではなく、戦略的・創造的な「自己騙(かた)り」の場であることが明らかにされていく。


 今福龍太による「思想家の自伝を読む」(上野俊哉平凡社新書)の書評
(読売新聞10年9月19日付け朝刊)


 「書くこと」と「私」との慣れ合いの拒否。その延長上に「私」が書けるものとは…