「由緒正しき貧乏人」対落合博満

 河出書房新社が「KAWADE夢ムック、文藝別冊」という人物シリーズを出している。このなかの「本田靖春 戦後を追い続けたジャーナリスト」を購入した。

 以下は、同書所収の「名文家は話の達人でもあった」(渡瀬昌彦)からの引用。渡瀬が編集者として、本田と落合博満の対談に立ち会った時の回想記だ。対談は1985年2月に行われた。当時、落合は31歳でロッテの選手だった。

 本田(靖春)さんは、落合選手の個性を高く評価し、彼(落合)も「長嶋・王はいい子ブリっ子」と本音を吐露する。ところが…対談はゴール直前で、意外な展開を見せるのだ。

(落合)やっぱりひとを中傷したりすることもあるし(中略)傷つけなくてもいい部分まで傷つけてきたんじゃないかなっていうのはあるよ。これからはいろんな配慮をしながら生きていかなきゃいけないかなっていう反省もあるしね。
(本田)あなたには、まだ早いと思う、ボクは。
(落合)早いと思う?
(本田)そんなんじゃダメだ。
(落合)ハッハッハ。
(本田)おとなしい落合博満なんて見たくもない。自立的に、個性的に、強く生きることが、それができないでいる人びとに対するあなたの御奉公だよね。


 このくだりについての渡瀬の目撃談が「本田靖春とは何者か」を語っていて、興味深い。

 私はこのシーンを今も鮮明に記憶している。

 本田さんは怒っていた。(上記の)やりとりは相当、落合選手に気を遣っての表現になっているが、実際のところは「いまさら常識人になってどうする!悪役をやり続けるのがしんどいのはよくわかる。しかし、正論を吐き続ける落合だからこそ、人はあなたを支持するのだ。甘えてはいけない。あなたは凡人にはない、得難い素質を持っているのだから」と舌鋒鋭く迫ったのだ。

 それに対する反応は「(落合)ハッハッハ」などという穏やかなものではなかった。

 彼は、一分以上絶句し、揚げ句、目にはうっすらと涙がにじんでいた。まさかインタビュアーがここまで感情を露わにして本気で意見するとは…と(落合は)呆然としたことだろう。本田さんに対する物言いと態度が、そこから一変した。

 本田靖春とはそういう人である。「ひととは深くちぎらない。俺はそういう生き方をしてきたんだ」というセリフを何度か聞いたことがあるが、そういう覚悟を前提にして、ひとには常に誠実に接していた。