南部アフリカ、「洗面器の墓標」

 前方を走るトラックの砂ぼこりで前がよく見えない。



 2002年3月、アフリカ南部ザンビアの首都ルサカ郊外の道を車で走っていた。目的地は、郊外にある公立墓地だ。


 「着きましたよ」。運転席の地元案内人が車を停めた。強烈な日差しを避け、小さな木の下に立つ。すると、「あぶない、逃げろ」と叫び声が響いた。案内人が枯れ木で枝をたたくと、落ちてきたのはスペード型の頭部を持つ毒蛇だった。


 いやはや、あぶなかった。一息ついて、周囲を見回すと、腰まで茂った雑草に囲まれた野原の真ん中だ。墓地らしい囲いもない。墓石も見当たらない。まだ着いていないじゃないか。


 しかし、地面のあちらこちらに小さな土盛りがあり、そこに洗面器や植木鉢が逆さまに置かれていた。それがお墓だった。


 「遺体を埋めた場所を忘れないように、墓石のかわりに置いているんですよ。ここには、毎月2000人が埋められています。数年前の3倍以上。エイズのせいです」。案内人が説明する。 今日、遺体を埋めた人間が、来月には埋められる。墓を作るカネも時間もない。さびかけた洗面器の墓標には小石がのせられていたが、風雨ですぐに吹き飛んでしまうだろう。ここでは墓の命さえ短い。エイズは「死者の記憶」すら消していく。


 人口1000万人のザンビアHIV感染者は200万人。5人に1人の割合だ。平均寿命は37歳という。 首都の病院には、床に大勢の結核患者が廊下に寝ていた。エイズ感染で免疫機能が低下し、結核菌が猛威を振るっているためだ。患者は20代から40代までの働き盛りが多い。貧しい国は壮年層を失い、ますます貧しくなる。薬を買うどころか、病院に行くバス代すらない。援助関係者は、「一番安上がりで副作用のない薬は食べ物」と嘆くが、その食料の確保さえ困難だ。

 砲声は聞こえないが、これは「戦争」だ。ザンビアでは人間社会が音もたてず崩れかかっていた。

 サッカーW杯のおかげで、久々にアフリカが報道の対象になっている。8年前にザンビア南アフリカレソト王国の3カ国を訪ねたことがある。そこでは、エイズが想像を超えた猛威をふるっていた。

 上記は、その時の報告の一部だ。

        
 あれから8年がすぎた。ザンビアではエイズ治療薬が国連によって無料配給されるようになったが、穀物価格の上昇で「安上がりの薬」だった食品の値段が急上昇し、庶民は食べることさえ困難になっていた。
 しかも、エイズ治療薬には、栄養をつけさせるように食欲を増進させる成分が入っている。配給されたエイズ治療薬を飲んだ患者は、普段よりも食欲はあるのに食料品が買えない状況に苦しんでいるという。これも生き地獄だ。
 エイズは、発症を抑制する新薬のおかげで米国をはじめ先進国では死亡者が激減し、「克服された過去の病気」のイメージすらある。しかし、ルサカ在住の日本人医師は、「ウイルスの変異で、薬が突然、無効になる可能性もある。米国は感染症専門の若い医者をここに派遣して将来に備えている。微生物と人間との戦いは永遠に続く。結核の診断もできない医者が増えている日本は感染症の怖さを忘れている」と警告していた。

 「洗面器の墓標」は、日本にとって他人事なのだろうか。


※写真は、「木から落ちてきた毒蛇」、「洗面器と植木鉢の墓」