女性の女装?

 今朝の朝刊書評欄から目を引いた記述を紹介する。

 近年ますます「ケバく」なる女性たちによる化粧熱の高まりは、彼女たちのなかの女性度の高まりというより、その喪失(=女性の男性化)をカモフラージュするための、いわば「女性による女装」なのだという(森村の)意見には、なるほどと納得させられる。

 椹木野衣、「露地庵先生のアンポン譚」(森村泰昌、新潮社)書評、2010年6月6日付け読売新聞朝刊

 当たっているかどうかは関係なく、「芸としての分析」としては楽しめる。居酒屋向けの話題としても可。

 もう一つはイタリア関連。

 驚くべきはムッソリーニ独裁政権下の建築の量。イタリア各地と植民地に新築された党支部は五千を超え、学校、官邸、郵便局などを合わせれば、ナチスをはるかに凌駕する。

 ムッソリーニは全国を精力的に行脚し、連日数か所、起工式落成式に出席した。だが彼は注意深く狡猾。デザインを強制せず、人々が自発的に建築を生みだしたような意識を作り上げ、国民統一を図る。ここが著者の論点。

 もう一つの論点は戦後だ。建設した施設群は無批判に転用され、同時に独裁者支配の歴史も記憶も忘れられる。結語は痛烈。「建築を通じてファシズムを後世に伝えようとしたムッソリーニの意図が、最後には勝利を収めているかのようにも見えるのだ」

 松山巌、「建築家ムッソリーニ」(P・ニコローゾ、白水社)書評、上掲朝刊


 かつてローマで暮らしたことがある。ローマ南郊のエウルに、真っ白い長方形のビルが並んでいるが、これがファシズム期の建築群だ。市中心部にあるテルミニ駅も、確かファシズム期の建築だと思う。

 古代遺跡とファシズム建築が併存するローマには、前時代の痕跡を残しながら「歴史の堆積」として作りこまれた趣があったが、著者が指摘するように、ファシズム建築の勝利には思えなかった。著者の第二の論点が根拠をくわしく知りたくなった。
 この分野では井上章一が「夢と魅惑の全体主義」(文春新書)を書いていたな。

 このほか、「リアリズム絵画入門」(野田弘志、芸術新聞社)、「カオスの紡ぐ夢の中へ」(金子邦彦、ハヤカワ文庫)が気になった。

※写真は、エウルにあるファシズム建築の代表作「労働文明宮」。ファッショらしい、イカレタ、いや、イカシタ名前でしょう。