沖縄の補助金依存体質

 沖縄をめぐる問題は何一つ解決されていないが、ニュースの焦点は、沖縄問題から鳩山政権の命運に移ってきた。それゆえに、意地をみせて、このブログはテーマを沖縄に戻す。

 本日の紹介は、「沖縄幻想」(奥野修司洋泉社)。30年以上、沖縄に通っているノンフィクション作家が沖縄の現状を嘆いた内容だ。「沖縄を愛するゆえの苦言集」である。

 これも2回に分けて紹介したい。

 最初は、沖縄の「補助金漬け」の実態に関する記述。
(一部、叙述を短くするため、正確な引用ではない場合もあります)

 復帰前に沖縄は、統治者の米軍にとって必要な社会基盤しか整備しなかったから、道路やインフラなどは本土に比べると大幅に立ち遅れていた。
 1972年、復帰すると本土並みにするため沖縄開発三法が制定され、集中的に公共工事に投資することを決めた。昭和47年度から平成20年度まで累計でなんと8兆5542億円という天文学的な金額がつぎ込まれた。この沖縄振興開発事業費の92%が公共工事だ。

 沖縄につぎ込まれる補助金はこれだけではない。米軍基地とのからみでさまざまな補助金がある。
 そのひとつが「SACO交付金補助金」である。95年の黒人海兵隊員による少女暴行事件で反基地感情が高まったが、政府は札束をばらまくというアメで怒れる沖縄をなだめようとした。
 
 このカネは、米軍基地の県内移設・統合を受け入れた自治体に対する感謝のようなもので、たとえば市内に基地のある名護市のような自治体が、公民館を建てたいというと、SACO補助金なら9割、SACO交付金だと全額補助される。

 著者は、今、注目されている辺野古でその実例をあげる。

 人影のない通りを抜けると、赤レンガの建物があらわれた。これが建築費9億円といわれる「辺野古交流プラザ」だ。
 500人は軽く収容できるホールがあり、その隣には革張りの椅子がならんだ会議室、二階には図書館やアスレチックジムがあった。住民は無料で利用できるという。図書館は託児所も兼ねており、至れり尽くせりだ。ただ、書架にはゾッキ本のような書籍しか見あたらない。これがこの建物の性格を物語っているような気がする。

 名護市によれば、この建物は「公民館のようなもの」だそうだが、すでに辺野古には人口1646人(05年)に見合うだけの立派な公民館がある。なぜ公民館を二つ作ったのかというと、普天間基地の移設を受け入れる見返りに、建築費の9割を国が補助してくれたからである。
 館内の職員に「維持費が大変じゃないですか」と尋ねると、「いえ、補助金がありますから」と笑った。

 となりの豊原区はもっとすごい。ハイテク企業誘致の目的で「みらい館」や「マルチメディア館」、さらにナイトゲームもできるグラウンドを備えた、赤レンガの見事な公民館がずらっと並ぶ。いずれも北部振興事業でできた施設で、米軍基地とリンクしていることは言うまでもない。ちなみに豊原の住民はわずか491人だ。
 
06年4月に辺野古区では、一世帯当たり1億5千万円の一時金と年間200万円の補償金を国に要求する方針を決めたという。さすがに県内からも批判を受け、カネの要求は引っ込めた。
 辺野古区のホームページに<わたしたちのモットーは、「ヒヌク・クンジョウ(他人の力を借りず、自分の力で生きていく!)です>と書かれているのを見て、思わず笑ってしまった。なんだ、なんだ、この建前と本音の差は!


 数年前に書かれた本なので現状と違うかもしれない。しかし、大枠でこの異常な補助金依存体質は残っているはずだ。「基地に対する反発と依存との共存」。このあたりに切り込まなければ、抜本的な解決には程遠い。関係者はみんな、ずーっと昔からわかっているだろうが。

 奥野は、補助金依存の体質に警鐘を鳴らす。

 危険な米軍基地を受け入れるのだから立派な公民館ぐらい当然だ、迷惑料はもらって当たり前だと言う住民もいるだろう。たしかに、代償をもらって当然だ。ただ、同じカネを使うなら、基地がなくなっても、自立を可能にしてくれるものに投資すべきだろう。
 
 いずれの日か米軍基地がなくなり、国家そのものが地方の事業を補助する余裕を失った時、沖縄はみずから、巨額の維持費がかかるこれらの施設を管理することができるのだろうか。

 ある設計技師は、私にこう言った。
 
 「ハコモノなんて、所詮、50年後にはゴミです」


 つくづくカネの使い方を知らない国だ。