「名優」ブレア

久々に熱くなっている英国政治だが、5年前に書いた文章を思い出した。ブレア前首相の友人から聞いた話をもとにしたものだ。もはや過去の人になった感があるブレアだが、日本で持たれている印象とは違うかもしれないのでご紹介する。

日本では「人気のないネクラ」としか報じられないブラウン現首相も牧師の家に生まれ、16歳で大学に入った神童で、ラグビーで片目を失明…となかなかドラマチックな人生を歩んできた人物だ。英国でも世襲政治家が首相になる例はあるが、その最近の例がチャーチル(!)である。二流、三流の世襲政治家だらけのどこかの国とはえらい違いだ。

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「トニーは、ミックに完全にいかれていたね」。


 「トニー」とは2005年6月、英国労働党史上初めての総選挙三連勝を達成したトニー・ブレア首相。「ミック」とは、英国の老舗ロックバンド、ローリングストーンズのボーカル、ミックジャガーだ。

 冒頭の引用は、首相の学生時代の友人ヒュー・ケレット氏から最近、聞いた話だ。同氏は、英スコットランドの名門パブリックスクール、フェッツ校でブレア氏と同じ寄宿舎で暮らしていた。
 「トニーは、肩まで髪を長く伸ばし、ミックのように唇を突き出してしゃべっていた。とにかく、規則が大嫌い。私が知っているトニーは、組織に関係のあるものは、何にでも反対していた。まさか首相になるとはね…」
 同氏は「政治に興味があるとは思えなかった」と話すが、政治家になる伏線はすでに存在していた。

 それは、父親の挫折だ。
 父親レオは、複雑な生い立ちの人物だ。幼児の時に養子に出された。養母は共産党支持者でレオも共産党の活動家になるが、第二次大戦での兵役をきっかけに保守党支持に鞍替えする。戦後は、夜間の大学で法律を修めて弁護士になり、大学講師の地位も手に入れた。野心に燃えた人物で、保守党の地方支部長になったが、総選挙に立候補する寸前、四十歳で心臓発作で倒れ、しばらく失語症になった。

 この時、ブレア少年はまだ十四歳だった。言葉を失った夫にかわって、母親は、病気で挫折した夫の夢を、ブレア少年に何度も語ったという。「お父さんは国会議員になりたかったの。首相にだってなれたかも…」
 首相は後年、「何か重い宿題のように感じた。父を失望させたくなかった」と当時を振り返っている。
 ではなぜ、保守党ではなく、労働党を選んだのか。

 その一因は、フェッツ校時代に根を持つ。同校は、伝統ある名門校だけに、ボタンのとめ方に至るまで細かな校則があった。ブレア少年は、これに我慢ができず反抗した。いつもネクタイをだらしなくゆるめ、髪も肩まで伸ばした。ささいな違反で何度も体罰を受けたという。休日明けで自宅を出たものの寄宿舎に戻るのを嫌って空港に行き、旅客機に乗り込もうとして補導されたこともある。

 複数のブレア首相の評伝は、「この学校経験で、既存の秩序への反発が生まれ、労働党入党の下地となった」と指摘する。ラグビークリケットが上手だったが、やがて「上流階級のスポーツ」に反発してバスケットボールに転向したくらい、反権威主義は徹底していた。
 ケレット氏の話で興味深かったのは、学生演劇での活躍ぶりだ。
 「トニーは、カリスマ性があり、客をひきつけた。役に要求される感情をうまく演じた。戦争悲劇の主人公を演じた時は、客席の母親たちは感激して、みんな泣いていたよ」
 笑顔と真剣な表情の使い分け、歯切れの良い口調―ブレア氏が「政治家」の資質に恵まれていると思ったことは何度もある。だが時折、「整いすぎる不自然さ」や、「素顔が見えないもどかしさ」も感じてきた。

そうか、「名優」だったのか。