師・藤田省三

 隠れん坊の鬼が当って、何十か数える間の眼かくしを終えた後、さて仲間どもを探そうと瞼をあけて振り返った時、僅か数十秒前とは打って変って、目の前に突然に開けている漠たる空白の経験を恐らく誰もが忘れてはいまい。

仲間たち全員が隠れて仕舞うことは遊戯の約束として百も承知のことであるのに、それでもなお、人っ子一人いない空白の拡がりの中に突然一人ぼっちの自分が放り出されたように一瞬は感ずる。大人たちがその辺を歩いていても、それは世界外の存在であって路傍の石ころや木片と同じく社会の人ではない。眼に入るのはただ社会が無くなった素っからかんの拡がりだけである。


かくて隠れん坊とは、急激な孤独の訪れ・一種の沙漠経験・社会の突然変異と凝縮された急転的時間の衝撃、といった一連の深刻な経験を、はしゃぎ廻っている陽気な活動の底で、ぼんやりと、しかし確実に感じ取るように出来ている遊戯なのである。

すなわち隠れん坊は、こうした一連の深刻な経験を抽象画のように単純化し、細部のごたごたした諸事情や諸感情をすっきり切り落して、原始的な模型玩具の如き形にまで集約して、それ自身の中に埋め込んでいる遊戯なのであった。

そうしてこの遊戯を繰り返すことを通して、遊戯者としての子供は、それと気附かない形で次第に心の底に一連の基本的経験に対する胎盤を形成していたことであろう。それは経験そのものでは決してないが、経験の小さな模型なのであり、その玩具的模型を持て遊ぶことを通して、原物としての経験の持つ或る形質を身に受け入れたに違いない。


「或る喪失の経験」(藤田省三、「精神史的考察」所収、平凡社


 若き日に、保元物語芭蕉をテーマにした藤田省三氏の連続市民講座を聴講した。実際の本人と著作を通じて事前に抱いていたイメージとの違いがあれだけ少ない人物に、その後の人生で出会ったことがない。一度だけ一緒に居酒屋に行ったが、社会に出てからは個人的な接触はまったくなく、時折、著作を読み返すのみだ。それでも、「師」と呼べるのは藤田さんしかいないと思っている。

上記の論文は、藤田節の真骨頂である。ただ、個人的には「戦後日本の思想」(岩波同時代ライブラリー所収)の「日本の保守主義」が一番、感銘を受けた。当時、藤田氏は30代になったばかり。20歳の時に読み、50歳をすぎた今も時々、読み返しては気を引き締めている。