小さなサボり、大きな自由

ミック・ジャガー忌野清志郎が歌い続けている間は、何となく自分も大丈夫な気がしていた。片方が去ってしまったわけだけれど、人生の残り時間を計算せずにまだ悪あがきを続けよう。

RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」が発表されたのは一九八〇年。もしもその十年前にこの歌があったなら、私ももっと明るい気分で授業をさぼることができたかもしれない。
高等学校には学びたいものは何もなかった。学校と反対方向に自転車を走らせ、海を見に行くーそんなときにぴったりのBGMだったじゃないか。

私が美術史学に興味を持ったひとつの理由は、それが大学二年生の後半までにほとんど存在しない科目だったからだ。たぶん、学校の好きな人は、学校で勉強した科目をもっと深く知りたいなどと考えたりするのかもしれない。私は違うことをしたかった。

いま授業で美術史を教えていて、何だかまちがったことをしている気がときどきする。自分にとって美術史は、教室から遠く離れた屋上で空に溶けていく煙草の煙やヒット曲のようなものだった。

そういう快楽であることが伝えられているだろうか。勉強という言葉はなるべく使わないようにしているが、快楽を深めようとすれば細かなこだわりが生まれ、苦痛に思える仕業に身を委ねることになる。しかし、すべて結局は楽しみのためなのだと、たぶん「うまく言えたことがない」。

「日本美術史不案内 3」(佐藤康宏、「UP」2009年7月号)

 この筆者は1955年生まれで、日本美術史専攻の大学院教授。

「授業をサボル」
〜ささやかな秩序からのささやかな逸脱が、どれほど自由の快楽を与えてくれたか。高校時代に戻りたいとは思わないが、戻れるならば、こんどこそもっとさぼりたい。