北京は今(2)

「北京は今」の第二弾です。

 新しいショッピングビルが並び、欧米のブランドの巨大看板が目を引く北京中心部の王府井(ワンフーチン)。「北京の銀座」といわれる市内有数の繁華街だ。

 今風のファッションに身を包んだ若者が行き交う路上に、写真パネルが並んでいた。写真の内容は、核実験のキノコ雲や炭鉱労働者の笑顔など、派手なショッピングモールには場違いなものが目立つ。新中国建国60周年を記念する路上写真展だった。

 中華人民共和国は1949年に誕生し、今年、人間なら今年、還暦を迎える。
 10月の国慶節には大規模記念行事が計画されているが、それ以外にも大小さまざまなイベントが展開されている。この路上写真展もその一環だった。

 写真展は、建国60年を10年ごとに区切り、それぞれに「タイトル」を付けていた。
 「誕生」(1949−59)、「自強」(60−69)、「曲折」(70−79)、「変化」(80−89)、「激変」(90−99)、「発展」(2000−09)の6期だ。

 中国初の核実験は1964年10月に行われたが、その写真が「自強」の一部として展示されていた。「曲折」は4人組の時期だが、文章では指摘があったものの4人組の写真は見当たらなかった。

 「少々の紆余曲折はあったが、今や中国は世界的大国とさらなる発展を続けている」。これが全体を通じたトーンだった。

 中国共産党お家芸である「自画自賛」ではあるが、北朝鮮のように、現実的根拠のないヤケクソ気味の自己PRではない。中国の経済的実力向上を背景にした自信に支えられたナショナリズムが強く伝わってくる。

 しかし、一方で、この消費資本主義のショーウィンドーでは、立ち止まった写真を見る人はほとんどなく、キノコ雲も労働者の笑顔も無関心の中で孤立していた。

 愛国主義政治的無関心。この二つの相互作用が、中国政治の行方を決めることになりそうだ。

 ※写真は、北京・王府井の路上写真展。60年代の「自強」の2枚。初の核実験成功と、労働者の笑顔。展示場所は、欧米ブランドが並ぶおしゃれなショッピングモール。

(注1)

 中国当局は10月1日の建国60周年に向けて、国民の愛国主義熱を一段とかきたてるよう全国に通達を発した。

 中国は江沢民時代の1994年に愛国主義教育推進の国策を定め、「愛国」「愛党」の発揚に取り組んできた。これを引き継いだ胡錦濤政権は今年4月、「青少年を重点に愛国主義を浸透させよ」との運動強化方針を発表した。

 15年来の愛国主義運動の目的は何か。市場経済化で影が薄くなったマルクス・レーニン主義毛沢東思想に代わる新たな国民統合理念として愛国主義を利用しようというのが一つ。愛国主義を欧米民主思想への防波堤とし、一党独裁を守るとの狙いもある。ただ、高度成長期に生まれた新世代の政治離れとも密接な関連があるようだ。

 中国の専門家による調査研究書「当代中国青年価値観研究」によると、大学生の78%は「政治に無関心」とのデータがある。学生たちは「政治は少数の政治家の仕事。自分とは遠くかけ離れている」「政治はおもしろくない。経済実利を追いかける方がいい」とその理由を語ったという。

 また、マルクス・レーニン主義毛沢東思想について11・3%は「時代遅れ」と否定し、11%は「数ある理論の一つに過ぎない。マルクス・レーニン主義での一元的指導はよくない」と異議を唱えたという。

 こうしたノンポリ学生は中国で「80後(パーリンホウ)」と呼ばれる1980年代以降生まれの若者たちだ。多くが一人っ子の彼らは豊かな消費社会で育ち、「理想主義的な政治参加の情熱を持った、それ以前の世代の学生と異なり、功利的観念と個人中心意識が強い」(同書)とされる。

 「80後」より上の世代は政治への関心が高く、それが民主化運動を盛り上げ、89年6月の天安門事件を招く結果にもなった。共産党にとってそれはそれで頭が痛かったが、ノンポリ層の増大は共産党の求心力自体を空洞化させかねない。

 中国の一党政治は自らの統治の正統性を絶えず国民に訴えかけ、体制内の政治参加を促さないと安定を保てない。愛国主義教育とは新人類の「80後」を、いかに「愛国」「愛党」へ導くかを最大使命とする体制護持運動と見ていい。

 しかし、上からの運動の効果のほどは疑問だ。むしろ、改革を推し進め、民意重視の、魅力ある政治を実現することで社会の安定化を図るべきだろう。若者をただただ愛国主義であおり立てれば、逆に社会不安を生むことは、2005年に中国各地で起きた反日デモなどが如実に物語っている。「愛国」と「亡国」は紙一重。その落とし穴にそろそろ気付くべきではないか。
  
 「読売新聞」2009年5月9日付け朝刊

(注2)

 今月、中国・南京の「南京大虐殺記念館」を参観した。夏休みの親子連れや校外学習の生徒らの記憶に定着させるべく、記念館は、外壁で、展示で、追悼場で、「遭難者30万人」を何度も強調している。旧日本軍はそこで、「悪魔」と呼ばれていた。
 日本では、南京事件(1937年)の中国人犠牲者数を巡って様々な論がある。だが、中国では、「30万人」は「歴史的事実」。異論は許されない。共産党宣伝部が公認する歴史だけが「正しい歴史」であり、公表を許される。
 教育、文芸、出版、報道などを支配する党は、材料を徹底的に選別して自ら「歴史」も構築し、政権の「正統性」の証明や、国民の愛国心高揚に役立てる。抗日戦争史では、記念館の展示そのままに、「悪魔」のような旧日本軍と、祖国、そして共産党の「輝き」が常に一対となっている。

 この国の「歴史」、特に党が登場する近現代史は、「政治」そのものだ。
 「政治的宣伝に関係なく、歴史を客観的に描けるのは、どの時代までですか」。北京の歴史家にぶしつけに聞いたことがある。答えは「清代(1616〜1912)はほぼ大丈夫」だった。もっとも、近現代史の出発点となる清末は面倒らしい。また、どんなに古い時代でも、歴史研究が現在の党批判につながるのはタブーだという。

 南京から北京に戻ると、10月1日の建国60年を前に、政権を厳しく批判する「老同志の談話」がインターネット上に出回っていた。トウ小平の改革・開放を支えた長老の発言とも言われる。
 党は今、建国後60年間の「輝かしい歩み」の大宣伝を続け、「歴史」で現在を飾り立てている。「老同志」は、何千万人ともされる犠牲者が出た政治運動・大躍進や文化大革命など「負の歴史」を無視し、60年たっても言論の自由を認めず、民主化も進めない政権に対し、「基本的な政治倫理をうち立てよ」と提言した。そして、発言は、すぐにネット空間から消された。

「読売新聞」09年8月23日付け朝刊