実は荒削り、弥勒菩薩

fusen552009-09-25

京都・太秦にある広隆寺に立ち寄る。お目当ては、おなじみの弥勒菩薩(宝冠弥勒)。実はこれが初対面だ。通っていた高校に修学旅行がなかったため、多くの人が経験する修学旅行での「奈良京都初体験」を経ていない。人生の残り時間を計算する年になっての「初体験シリーズ」だが、人生にくたびれてからの「ハツモノ」との出会いも、これはこれで悪くない。

 訪れたのが平日の午後2時ごろ。展示室には合計7人がいるだけ。像の前には畳台があり、時間があれば靴を脱いで、ゆっくりと正面からにらめっこができる。東京・上野の阿修羅展の殺到ぶりからすると、この像が東京に来れば、知名度、国宝第一号の格からして、1日1万人の入場者は確実だろう。

 もちろん写真では何度も見たことがあったが、実物からは、写真とはかなり違う印象を受けた。これまでは、頬に触れんばかりの指の繊細さで印象が喚起されたせいもあり、細くて技巧を凝らした仏像をイメージしていた。しかし、実物は、顔が指に比して大きく、表情はアルカイック・スマイルに近く、台座も木材の削り跡がはっきり残っており、全体として技巧にとらわれない、よい意味で「古代的なおおざっぱさ」を感じさせた。さらに、見る角度を変えると、その印象が微妙に変わってくるのも、興味深かった。
 
 ただ、照明をはじめとする展示技術に工夫がなく、「もったいない」との感も抱いた。仏像展、薬師寺展、阿修羅展など最近の東京での仏像展示をみていると、照明のプロフェッショナルがさまざまな工夫をかさねて、効果的な展示を試みている。「見せものではない」との反論も予想されるが、仏像は、商売の見地ではなく、宗教的な位置づけとしても、教えを訴える重要な視覚的役割を担っている、つまり「見せもの」なのである。
 

最後に、『ウィキペディアWikipedia)』で紹介されていたエピソードが面白かったので紹介しておく。

 

1960年8月18日、京都大学の20歳の学生が弥勒菩薩像に触れ、像の右手薬指が折れるという事件が起こった。この事件の動機についてよく言われるのが「弥勒菩薩像が余りに美しかったので、つい触ってしまった」というものだが、当の学生は直後の取材に対し「実物を見た時"これが本物なのか"と感じた。期待外れだった。金箔が貼ってあると聞いていたが、貼ってなく、木目が出ており、埃もたまっていた。監視人がいなかったので、いたずら心で触れてしまったが、あの時の心理は今でも説明できない」旨述べている。

なお、京都地方検察庁はこの学生を文化財保護法違反の容疑で取り調べたが、起訴猶予処分としている。また、折れた指は拾い集めた断片をつないで復元されており、肉眼では折損箇所を判別することは不可能である。