金大中氏と朝食体験

金大中氏に一度だけ会ったことがある。

 1987年夏、ソウル在住の日本人記者に誘われてソウルの東橋洞にある自宅を訪ねた。

 金氏は政治犯として一切の政治的自由を奪われていたが、民主化運動の高まりで、この年の夏、政府は金氏に特赦を与えた。自宅を訪ねたのは、政治活動を再開した直後だった。大統領選挙に出馬するかが最大の焦点だったが、韓国政治の素人である私は、ただ脇でやり取りを聞いているだけだった。

 話の内容はすっかり忘れてしまったが、自宅での様子は記憶に残っている。

 自宅は狭い路地の途中にあった。お世辞にも広いとはいえない平屋で、われわれ日本人3人が案内された応接間も狭かった。もうひとりニューヨークタイムズ紙の米国人記者がいた。金氏は、日本人の質問には日本語で、米国人の質問には英語で答えていた。

 日本語は韓国人特有の訛りがあるものの、意思疎通にはまったく問題はなかった。英語は流暢とは言いがたかったが、ゆっくりと丁寧な語り口で、やり取りはきちんと成立していた。英語は米国への事実上の亡命時代に勉強して身に着けたという。いわば中年の手習い。それでも微妙な政治的な意見を米国人記者と通訳抜きでやれるまでに上達したのは、かなりの努力が必要だったと思う。

 大統領選候補者、拉致事件被害者、死刑囚…劇的な半生を送った反政府指導者。しかも、「謙譲の美徳」が政治家にとっては「美徳」にならないお国柄だけに、会う前は、自己主張が強く、少し芝居がかったキャラクターを予想していた。しかし、語り口は穏やかで、むしろ淡々としており、拍子抜けした。

 話が一段落すると、われわれ日本人3人に「朝食はまだでしょう?一緒に食べませんか」と誘ってくれた。せっかくのチャンスなのでお受けすると、通されたのはごく普通の台所だった。流しとコンロを背にしてテーブルに座ると、ベーコンエッグが一人ずつ皿に盛られて出てきた。ひょっとすると、目玉焼きだったかもしれない。台所と料理のシンプルさに、驚いた。

 その席でも、金氏は淡々と話を続けていた。当時、すでに62歳だったわけだが、記憶の中では50歳前後の印象しか残っていない。

 その後、金氏は、大統領に向けて野心を燃やし続け、そして、目標を達成すると、「太陽政策」で平常を訪問して世界をあっといわせ、ノーベル平和賞も獲得した。
 しかし、私にとっては、狭い台所で質素な卵料理を口に運びながら、淡々と話していた姿が忘れられない。