凡庸な語学秀才

凡庸な語学秀才

語学講師として未熟だった頃には、「語学ができる学生=頭の良い学生」と単純に思いこんだのだが、経験を積むうちに、むしろ逆ではないかと思えてきたのである。その理由は、語学秀才は例外なく、日本語能力が貧弱であるということ。日本語の文章そのものがつまらないだけではなく、レポート、エッセイ、創作など、ひとつとしてまともなものはない。どうして、そんなにつまらないことを平気で綴るのか、その真意を尋ねたくなるほどである。
 (その卒論は)なんという凡庸さ、なんという紋切り型!

 鹿島茂「ドーダの文学史」11、「一冊の本」11月号所収(朝日新聞出版)


 ハハハ、つい笑ってしまった。

 ちなみに鹿島氏は明治大学教授