伊勢の内なる敵、出雲

「再開宣言」をしてから1か月以上、更新なし。これじゃ、いかんです。今日から、本当に再開します。しばらくは引用中心で行くつもりです。

高円宮家の次女と出雲神社の禰宜(ねぎ)との結納が行われたが、天皇家出雲大社宮司家との婚姻には、ちょっと驚いた。それは、天皇家伊勢神宮出雲大社とは「神道内部でのライバル関係」にあると思っていたからだ。両神社の緊張関係は、「<出雲>という思想」(原武史講談社学術文庫)に詳しい。この書籍の紹介を「再開」の幕開けにしたい。

 同書の冒頭には、こうある。

(出雲は)伊勢というもう一つの場所に対する「内なる敵」として、ほんの百十年余り前、そして六十年余り前にも同じような運命をたどった。

この論稿は、近代日本における「国家神道」「国体」の確立を、<出雲>に対する<伊勢>の勝利ととらえ、その裏で抹殺された、もう一つの神道思想―しばしばそれは「復古神道」と呼ばれる思想系列に属するーの系譜を描き出すことを試みたものである。
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 ここで、「伊勢」と「出雲」の比較をしておく。

<伊勢>=祭神は天照大御神、本拠地は「天」(高天原)、「天つ神」
<出雲>=祭神はスサノオノミコト天照大御神の弟)の子孫である大国主命、「国つ神」

 両者の関係は、地域的対立軸であり、神話の世界における思想的対立軸でもある。神道も一色ではないことに留意。

西郷信綱も「古事記の世界」(岩波新書)のなかで、伊勢と出雲の二元的対立が古事記を一貫する構造だと指摘している。これに対し、津藤左右吉は、アマテラスが天も地支配していたとして、アマテラスの優位を説いた。


 日本書紀で「国作り」や「国譲り」などの出雲関連は、本文ではなく異伝である「一書」に記載されている。この「一書」をどう解釈するかで、出雲の位置づけが大きく影響される。
「国譲り」は、出雲系の神が大和系の神に統治権を譲る話である。

 出雲のオオクニヌシによる「国譲り」は、「古事記」では、オオクニヌシが「天」に屈服して、その要求に率直に従ったとなっているが、「日本書紀」では本文は古事記と同様だが、「一書」では「出雲の敗北」にはなっていない。


 「一書」では、オオクニヌシは天の使者を疑い、すぐには国譲りに応じなかったとされている。そこで「天」はオオクニヌシの業績を評価して、「『顕露の事』はアマテラスの孫であるニニギに任して、あなたは『幽事(かくれたること)』を治めなさい」と提案し、オオクニヌシはこれを受け入れたとなっている。
 つまり、古事記日本書紀本文では、オオクニヌシは「国譲り」ですべての支配権を「天」に譲ったが、日本書紀の「一書」では、「幽事」についての支配権を依然、維持していた。これは大きな違い。


 「顕」が政治で、「幽」が祭祀というのが大野進、家永三郎などの通説。しかし、これは天皇の政治形態である祭政一致に反する。祭政とも天皇に譲ったが、天皇も侵すことのできない「謎の領域」があるのではないか、と原は推測する。

 「日本書紀」の「一書」に注目したのが、本居宣長だった。宣長は、「顕」と「幽」の区分に最初に言及した国学者となった。

 宣長は、「顕露事」を「朝廷の万の御政」とし、「幽事」を「神の為し給う御仕業」として、「顕」に対する「幽」の本源性を示唆した。当然、「幽事」を支配するオオクニヌシへの高い評価につながっていく。


 宣長は、「出雲風土記」の注釈に乗り出し、出雲国造である千家(せんげ)俊秀の弟、俊信と交流を持つ。千家家は、天皇と同じくアメノホヒ(天菩比神)を祖先に持つ出雲の名家であり、今回、高円宮家次女と結婚する男性の一族である。今回の結婚も遠縁同士の婚姻といえる。
俊信は、出雲系神による「幽事」支配の重要性を強調する著作を残している。

 出雲の重要性に着目した宣長だったが、やはり「古事記」が最重要古典であり、「天」中心の神話構造からは脱しなかった。その後、宣長の弟子を自称した平田篤胤は、出雲重視をさらに進めた。

 初期のころキリスト教の影響も受けた篤胤は、人はみな死後、黄泉の国へ行くと主張し、死後の世界である「幽冥界」は、彼岸や極楽浄土のような遠くにあるのではなく、地上にある。ただし、現世からは見えないと説いた。

 そして、篤胤は、オオクニヌシは正統的な「地」の支配者であり、その親神にあたるスサノヲは国生みの祖神から「天下」を治めるように委託を受けた正統な支配者であると解釈した。宣長が、スサノヲはあくまで海原の支配を委託されただけ、しかも、善神アマテラスに対する悪神スサノヲとの伝統的見方を支持していたことに比べると、篤胤は、スサノヲを悪事を憎む善神と解釈し、この延長線上でオオクニヌシをスサノヲの後継者とみた。

 この篤胤説の文献的根拠は、「日本書紀」の「一書」だった。天皇も含めこの世の人間は有限の生を終えれば、永遠の「幽世」に入る。その幽世を支配しているのがオオクニヌシである。となれば、天皇も死ねばオオクニヌシ支配下に入ることになる。

 これに対して、幕末の尊王攘夷の母体となった後期水戸学は、オオクニヌシを悪とする伊勢中心史観だった。藤田東湖の「弘道館記述義」には、「アマテラスは建御雷神(タケミカヅチノカミ)を遣わして国土を平定し、オオクニヌシは国を献じて遠くに逃げた」との記載がある。

 とりあえず、本日分をまとめてみると、以下の通り。

 古事記日本書紀(本文)では、悪神の乱暴者出雲系神々が善神の大和系神々に敗れ忠誠を誓ったことになっているが、日本書紀に付された「一書」では、出雲系の支配が「幽」の領域で継続していたとされる。この「一書」の再評価が江戸時代に宣長によってなされ、「出雲系重視」説は平田篤胤に受け継がれ、伊勢中心神道内部の「異説」として成長していく。