「ルイズ」、重いけど明るい

 「ルイズ 父にもらいし名は」(松下竜一講談社文芸文庫)、読了。大杉栄の末娘ルイズ(伊藤ルイ)の一生を追ったノンフィクション。

 著者の松下竜一(1937−2004)は、豆腐屋さん出身の異色作家だった。高校時代に愛読していた雑誌「終末から」に連載していたエッセイを記憶している。デビュー作「豆腐屋の四季」を原作にしたテレビドラマ(確か緒方拳が主人公の豆腐屋を演じていた記憶がある)も観ていた。

 「生活者の体験を基盤にしたユーモアあふれる社会批判」が身上だが、この作品は、作者の感情が表にでないように文体が抑制されており、それがかえって主人公ルイズの人生の起伏を際立たせている。

 舞台となった福岡市西部は、風船子の故郷でもある。作品のなかで交わされる方言が完璧で、なつかしかった。松下は大分出身。福岡と大分は同じ九州で隣接しており、九州以外の人間には同じ「九州弁」と思うかもしれないが、言語圏は違う。もちろん、他地域の方言に比べれば近接性はある。こうした場合、自分の方言にひっぱられて対象地域の方言描写が不正確になりがちだが、おそらく地元の人間に方言チェックを依頼したと思われる。そこからも、松下の丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。


 大杉栄は、昨年、佐野眞一甘粕正彦の評伝を読んでいたので、かなり記憶が残っており、この作品を読むときに役に立った。

 杉栄と伊藤野枝という筋金入りの反体制派を両親に持ったルイズは、「非国民」の子として差別され、かつ貧困にあえぐ。戦後になっても極貧の生活が続くが、この評伝のトーンは陰気ではない。
前述のように、抑制された文体のせいもあるだろうが、最大の原因は、母代りとなり、ルイズを育てた祖母ウメの明るさだろう。ウメは学校教育に無縁で字が読めないが、働き者で気働きもできる。子供や孫への絶対的な愛情があり、90歳すぎまで逆境にへこたれなかった。

 そして、貧困の描写に湿り気がなく、カラッとしているのは、もう一つの原因がある。それは松下自身の資質だ。

 この作品に感心したので、アマゾンで、松下が書いた「底抜けビンボー暮らし」、「砦に拠る」、「怒りていう、逃亡には非ず」の3冊を購入して、最初の「ビンボー暮らし」を読了した。松下作品は、稿を改めて書きたいが、病弱の身を抱えた自身のビンボー暮らしを胸をはって、かつ、読者に笑いを提供しながら描き切っている。その「腹のすわりかた」に頭が下がった。今や、多少名を知られた物書きの世界で、こうした人格的形象は絶滅品種であることは間違いない。当時としてもそうだったろうが。


 暑さでだらけてしまいような昨今だが、松下のおかげで少し背筋がピンと伸びたような気がした。


 えらか人のおんなさった。