永山則夫とNHKの底力

12日夜のNHKテレビでの永山則夫特集番組は、見ごたえがあった。

 特に獄中結婚していた元妻の独白は、ひとつひとつの言葉は、おそらく書き言葉にすると定型の「決まり文句」に近いかもしれないが、話し言葉としては異常な発信力を持っていた。重い経験に対応するために、長い期間、考え抜いて自力で選びぬいた言葉の持つ力を実感した。番組の主役は、彼女だった。

 フィリピン人の父に棄てられ、日本人の母に棄てられ、戸籍もない、15歳の少女が、生きていく参考になるのではと書店で国際法の専門書を万引きし、公園で必死で読んだという。こうした苛烈な体験が、過剰と抑制の危うい均衡に支えられた口調で語られた。

 通常の教育も満足に受けられない貧困のなかで日本の最北部と最南部で生まれた二人が、社会の最深部で限られた言葉のなかで育ち、一人は連続射殺犯になり、一人はその存在に「もう一人の自分」を感じて獄中結婚に至る。
 
 永山則夫の肉声も初めて聞いた。とつとつとした訛りをもつ口調だが、よどみなく言葉が流れる。「考えながら」ではなく、「考えてから」しゃべっている印象を持った。

 「戦後日本の暗部が生んだ鬼っ子」として永山をとらえる視点は以前からあった。本人もそれを意識していた。しかし、もっとそれ以上の何かを、この番組はナマの素材を使って提示していた。

 テレビの可能性、NHKドキュメンタリーの底力(たしかプロデューサーは女性だった気がする)を久々に強く感じた。