みすず読書アンケート(最終回)

 12年版「みすず」読書アンケートの最終回です。例によって、個人的に気になった本を抜粋してみます。2月初めに購入したのに、もう6月下旬になってしまった。

・「ブレヒトの詩(ベルトルト・ブレヒトの仕事3)」(野村修編、河出書房新社
 〜政治的にも物理的にも汚染された世界に生まれ落ちた人々がこの偶発を僥倖(アレア)と見なし、「後に生まれる者」に何を伝えられるのかを考えさせられた。(松本潤一郎


・藤波伸嘉「オスマン帝国と立憲政」(名古屋大学出版会)
 〜われわれが欧米文明最大の成果とみなす民主主義が非キリスト教圏でいかなる再解釈を加えられ、いかなる過激な立憲政を確立していったのかを解き明かす衝撃の書。「オスマン人はトルコ人ではない」ことの本質が多言語による豊富な傍証により明らかになっていく論述は、スリリングというほかない。(巽孝之


・吉澤弥生「芸術は社会と変えるのか?」(青弓社
 〜対象を表象として切り取り、解釈を付与して何事かを成し遂げたような顔をするのではなく、(アートは)継続する生産行為であることを教えてくれる。(冨山一郎)


・木戸博子「クールベからの波」(石榴社)
 〜「水の領域」以来、木戸さんの詩文を読むのを心の糧としてきた。一部の書店でしか扱わない。(川本隆史


円城塔「これはペンです」(新潮社)、大橋完太郎「ディドロ唯物論」(法政大学出版局)、輪島裕介「創られた『日本の心』神話―『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」(光文社新書
 〜「団塊ジュニア」世代が、面白い仕事、大きな仕事をしている。ピンチョン「V.」を翻訳した小山太一の訳文にも圧倒された。不況が長引く中で、日本は人文学ルネサンスを迎えるのかもしれない。(佐藤良明)
 <このあたりの世代の仕事は、たしかに気になるところ>


丹生谷貴志「<真理>への勇気―現代作家たちの闘いの轟き」(青土社
 〜「ありとあらゆる種類の社会を欺瞞的と捉える人」であったという大岡昇平氏をめぐる存在論が刺激的である。(鈴木了二


・ハンナ・アレント「人間の条件」(ちくま学芸文庫
 〜近代に登場した「社会」性が人類の世界をいかにダメにしたかという歴史書としても読める。カトーの言葉の引用「なにもしないときこそ最も活動的であり、独りだけでいるときこそ、もっとも独りでない」によって、この書物を終わらせることの意味は深い。(鈴木了二

・武藤洋二「天職の運命」(みすず書房
 〜スターリン時代のソ連の芸術家たちの運命を追った労作。いやライフワークの名に値する類まれな仕事である。(谷川渥)


・松下裕「増訂・評伝 中野重治」(平凡社ライブラリー
 〜二度の中野全集を独力で編集したロシア文学者にして、はじめて書き得たもっとも信頼できる評伝。


・佐野学「清朝社会史」(文求堂、昭和22,23年)
 〜著者が、14年間に及ぶ在獄中に独学で中国史を研究して書き上げた全8巻の労作。
 <「佐野・鍋山の転向」で有名な佐野学にこうした著作があるのは知らなかった。福本イズムの福本和夫が、たしか江戸絵画について分厚い書物を書いている。「刑務所を学校にする」タフネス。あっぱれ>


・Terrence W. Deacon 「Incomplete Nature: How mind emerged from matter」
(W.W.Norton

 〜物質から生命、それに意識の出現を熱力学の大枠の中から編み出そうとした野心的な大著。物質界にとって抗しがたい無秩序化原理、熱力学第二法則を厳守しながら、その間隙を縫って志向的な生命有機体、精神がいかにして現れるかを説く試み自体は、勇気が要る。著者は、熱力学に基づきながら、第二法則の働きによって、さまざまな拘束条件が現れ、遂には自己同一性を維持する拘束条件が出現するまでに至る、とする論を立てる。ただ、実証科学から眺めると、高い組織レベルで要請された自己同一性を維持する拘束条件を、現場に居合わせる原子、分子にいかに受け入れさせることができるのか、あるいは、原子、分子がそれをいかに受け入れるのか、の注文が残る。(松野孝一郎)

<うーん、本気で読んでみる気もする一方で、トンデモ本のような気もする一冊>


・並木浩一「『ヨブ記』の翻訳・注釈と解説」(旧約聖書Ⅻ)(岩波書店
〜旧約研究に新しい世界を切り開いた著者の傑作。


杉本秀太郎「だれか来ている」(青草書房)
ゴーギャンについてのエッセイが圧巻。「上村松園―妣たちの国」がなつかしい。(原章二)